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ブレーキを失った日本

「慰安婦は人権侵害」 稲田行革相、橋下氏を批判
稲田朋美行政改革担当相は14日の記者会見で、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が旧日本軍の従軍慰安婦を容認する発言をしたことに関し「慰安婦制度は女性の人権に対する大変な侵害だ」と批判した。
 橋下氏が米軍幹部に対し、海兵隊員に風俗業者を活用させるよう求めたことについても「意味が分からない」と強い不快感を示した。
2013年5月14日 中国新聞

案外、安倍政権は早い段階で内部崩壊するかもしれない。
高い政権支持率とアベノミクスの好況を受けて、調子に乗って極右発言を連発した途端に、ブーメランとなって火の粉が降りかかってきた格好だ。
まさに、極右が極右を否定する、へんてこりんな現象が起きはじめている(笑)
んな訳で、安倍総理が振り撒いた極右思想の種は、当面燻り続けることになり、アメリカ様を怒らせたように、思わぬ火事を引き起こすのかもしれない。

自民党政権になって以降、明らかなのは、安倍総理は自分に関心のある人々に対しては、やたら威勢のいいことを言うけれども、関心の無い人間や敵対する人々に対しては、近づいて物を言おうとはしない。
取り巻き連中をイエスマンで固め、自分が気に入らない勢力とは、一切の関わりを持たない、まさに裸の王様状態だ。
要は、典型的なお坊ちゃま体質なのである(笑)

本来、政治家とは、自分の意見を押し通すのではなく、反対意見の相手から妥協を引き出すことが出来るのが優れた政治家なのだと思う。
立場が違えば、利害が一致しないのはそら当然な訳で、そこを調整するのが、政治家として求められる役割のはずなんだけどね。
そう考えると、安倍総理の政治姿勢には、総理大臣はおろか、政治家としての資質が全く備わっていないと言える。
それらを補う為に、それなりの政策ブレーンをつけたまでは良かったが、結局のところ、総理の発言と政権が行うとする政策には多くの矛盾や乖離が生じることとなり、いずれ時間が経つにつれ、様々な綻びが出てくるのではないかと思っている。
そんな訳で、このまま行くと、前回同様に政権運営に行き詰まって、またもや職場放棄なんてことも?(笑)

そういった意味でも、野党からすれば、絶好の機会が訪れようとしている訳なんだけど、いかんせんろくでもない野党しかいないから、大きな変化が期待できないのが、なんとも情け無いとことろ。
安陪総理周辺が極右発言を自重しだしたのも、野党や国民世論の反発を受けたからではなく、ただ単に、アメリカ様のご機嫌を損ねたからに過ぎない。
あれほど、アメリカから押し付けられた憲法は認められないと啖呵を切って、憲法改正を猛烈に訴えていた安陪総理の威勢は一体どこへやら?(笑)
結局、安陪総理の極右的信念なんてものは、所詮、その程度ものでしかなかったということなのだ。
ただ、一方で、日本国内においては、極右化に対する自浄作用が働かなくなってきたことの表れでもあり、それこそ、橋下大阪市長のように、より右側に暴走する輩も出てくるほどに極右思想が日本社会に蔓延ってきているとも言える。
彼もまた、大阪市民の信任を得た人物な訳で、このような人間を総理や首長に選んでしまうほどに、もはや日本の民度の劣化とガラパゴス化に歯止めがかからなくなってきているのが現状なのだ。

安陪政権の極右姿勢がトーンダウンに転じたことは、一見好ましいようにも思えるけど、あくまで、外圧に屈しての軌道修正ゆえに、手放しでこれを歓迎するのは早計だ。
むしろ、それ以上に、日本社会が右傾化に対する自浄作用を失ってきていることを、深刻に受け止めなければならないと思う。
かつて、右に傾いた船は沈むのみと書いたことがあるけど、思っている以上に、その危険水域に差し掛かっているのかもしれない。
極右政治家が極右政治家をたしなめる、なんとも低俗な政治ニュースを見ていて、なんだか、そんな不安が強まってきた今日この頃だ。

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国民不在の栄誉賞授与式

東京ドームで行われた、長嶋、松井両氏の国民栄誉賞の授与式に、違和感や嫌悪感を抱いた人々は、果たしてどのくらいいたのだろうか?
人気スポーツ選手を出しに使い、商業主義とあいまった政治ショーを、徳光キャスターの嗚咽でもって、こどもの日に全国のお茶の間に届けられていたかと思うと、もはやめまいすら覚える醜悪なイベントでしかなかったというのが正直なところだ。
松井の極めて冷静で実直なスピーチと、翌日のスポーツ紙やワイドショーのはしゃぎっぷりのギャップが、ある意味、このイベントの違和感を物語っていたように思う。

何より、未だ権力欲の衰えないナベツネが裏で糸を引いていたことは、火を見るよりも明らかな訳で、人気選手に取り入って新たに儲けたい商売人の目論見と、政権の支持率を強固にしたい政治家の浅ましい思惑に、世間がまんまと乗せられた恰好だと言える。
読売グループと時の総理大臣による権力の私物化とも言える醜悪なイベントに、諸手を挙げて感嘆できるというのであれば、もはやそれは、この国がポピュリズムに犯されていることを示しているに他ならない。

果たして、スポーツの政治利用と私企業と総理大臣の蜜月を、こうも簡単に許してしまっていいのだろうか?
安倍総理が公平な立場である審判を務めたにも関わらず、読売ジャイアンツユニフォームを着こんで嬉々とジャッジしている様など、まさに、今の日本の政治そのものを象徴しているようで、もはや滑稽なものにしか写らなかった。

しかし、現実は笑って済まされるレベルの話ではない。
中国や朝鮮半島の脅威を煽り、日本国憲法を押し付けられたと言い放つなど、今回の授与イベントしかり、安倍総理の政治手法には、常に情緒的であったり扇動的な言動や行為が付きまとっているように思う。
我々は、そういった政治手法に惑わされず、その目的や意図を勘案しながら、安倍政権を見極めていく必要があるのだ。

ところで、件の松井は、授与式後、日本に留まらず、すぐニューヨークにとんぼ帰りしたのだとか。
是非、松井には、読売と決別してメジャーに挑戦した当時の気持ちを思い出して、誰に気兼ねする事無く、自身が思う道を進んでいって欲しいと願う。

※追記
松井氏は、5月9日まで日本に滞在し、アメリカに戻ったとのことでした。

そんな訳で、テレビから流れる徳光キャスターの聞くに堪えない嗚咽が、もはや愚衆政治への始まりの合図にしか聞こえず、思わずテレビのチャンネルを変えるしかないのだった(笑)
というか、カープがあまりにも可哀相過ぎだろ...
 
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北朝鮮化する日本?

安倍首相、近隣諸国の神経を逆なで−戦時期の「侵略」を疑問視
 【東京】安倍晋三首相は最近、戦時期の歴史を再考すべきとの考えを一段と強く打ち出し、閣僚の靖国神社参拝に対するアジアの近隣諸国の批判に反論した。だが、その発言が中韓両国との関係をさらに悪化させている。
 安倍内閣の閣僚による靖国神社の参拝を受けて近隣諸国の感情が高ぶるなか、同首相は日本が第2次世界大戦中にアジア周辺国への攻撃や支配が「侵略」に当たるのか疑問を投げ掛け、周辺国の神経を一層逆なでした。
2013年4月26日 ウォールストリートジャーナル

参院選まで大人しくしているかと思っていたけど、やっぱり我慢できなかったみたい(笑)
そんな訳で、なんちゃって左翼政党の皆さんにお願いです。
これ以上、安倍総理に餌を与えないで下さい!
でないと、食べ過ぎで、お腹を壊しちゃうかもしれないよ(笑)

冗談はさて置き、なんか歴史は繰り返すじゃないけど、このまま行けば、かつて国連を脱退し、外交的孤立を深めて、帝国主義に突き進んでいったあの時代と、政治状況が似通ってきたような気がする。
ただし、違いがあるとすれば、今の時代は、軍事力で世界と戦うのではなくて経済力で戦うということ。
とはいえ、軍事力と違って、経済力を高めていくには、一国の力でどうにか出来るものでもない。
結局、国力というものは、外交力に比例しているとも言える訳で、となると、今の日本の外交力では、どう考えたって負け戦にしかならないんだけどね。
せいぜい、TPPでアメリカ様に媚を売ることぐらいしか出来んでしょ。
てか、それすら覚束ないのが現状なんだけど...

そもそも、隣国である中韓の国家元首が新たに変わったと言うのに、閣僚クラスの会談すらセッティングできないというのは、どう考えたって異常事態。
少なくとも、政府要人が外交を悪化させてまで、靖国にお参りしている場合じゃないでしょ。
おまけにアメリカ様にまでイライラさせてるし(爆)

外国に理解されない行為に拘っている様は、まるで将軍様を称える彼の国とたいして変わらんぞ(笑)
なんせ、我が国の将軍様は、憲法改正を持ち出してまで、どうしても軍事力の行使権を持ちたいようで、そんな妄想に国民を巻き込むのは、いい加減止めて欲しいね。
もとより、北朝鮮の場合は、関係国から譲歩を引き出して、体制を維持したいが為の外交戦略という政治手段になるのだけど、我が将軍様の場合は、軍事力というおもちゃが、ただ単に欲しくて仕方のない、お坊ちゃまの我がままにしか見えないんですけど(笑)

果たして、歴史が繰り返されてしまうとするならば、過去の過ちから何も学んでいないということなんだけど、帝国主義を正当化して得られるものって、一体なんなのかね?
誰か教えて下さいな。

そういった意味でも、なんちゃって左翼政党の皆さんには、是非とも存在感を示して欲しいね。
たまには、お国の為に働いて頂戴(笑)
ついでに言えば、新自由主義系の政党や経団連からもクレームがあってしかるべきなんじゃないの?
中韓との関係悪化は、明らかに経済的損失を招く訳で、靖国参拝は自分達の首を絞める行為にしかならんよ。

大体、そんなに歴史と伝統を重んじると言うのなら、地元の神社にお参りせい!
靖国神社じゃなんて、明治以降に出来た言わば新興宗教の団体みたいなもんで、よくもまぁ、それで日本の歴史と伝統を語れるもんだ(笑)
即ち、連中が重んじているのは、帝国主義時代の日本だけであって、そんなものは、長い日本の歴史からみたら、ほんの一部の時代でしかないんだけどね。


結局のところ、マッチポンプじゃないけど、なんちゃって左翼の運動やら、韓国中国の反応によって、靖国神社の問題が、本質からかけ離れてしまっているようにも思える。
主権回復の式典に沖縄を持ち出してくるのもそうだし、靖国参拝に関する中韓の反応もそうなんだけど、むしろ問題が矮小化して、右傾化への抵抗感を弱めていく、即ち日本国民のナショナリズムを反って刺激しているような気がする。
そもそも、政府関係者が靖国神社に参拝する行為そのものが、中韓のヒステリックな反応の有る無しに関わらず、日本の国民主権を脅かす重大な問題行動のはずなんだけどね。
戦没者を慰霊するのと戦死者を慰霊するのとではまったく意味が違ってくる訳で、靖国神社の参拝のみならず、それを容認する世論が出来上がっていくとするならば、それはそのままファシズムに繋がりかねない危険性を孕んでいるということ。

そんな訳で、まさかとは、思うけど、中韓のヒステリーを引き起こす挑発的な発言も、実は右傾化の流れを強めたいとする安倍将軍様の狙いだったりして?

でもねぇ、そういった本質を見落として、日本の右傾化に庶民が加担したところで、な~んも良いことなんか起きないんだけどね。
そら体制側の人間にとっちゃ、右翼思想に被れたバカ共が増えることほど都合のいいことはないだろうけど、それって、庶民にとっては個人の権利を手放すようなもんだってことが判ってるのかね?

すでに、消費税増税に原発再稼動が避けられない状況で、今回の外交問題に加えて、ついには憲法改正までいよいよ現実味を帯びるところまで来てしまった訳で、こんな国家権力の暴走を、いとも簡単に見過ごしてしまっていいの?

そういえば、今日は、主権回復の日と称した厚顔無恥な式典の当日でもある訳なんだけど、思うに近い将来、むしろ、今日という日が、国民主権を失うこととなった歴史的な日にならなきゃいいのだけど。

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アナーキー・イン・ザ・ジャパン

サッチャー元首相の死去に関する一連のニュースを見ていて思ったのは、今まさに、日本の政治にサッチャリズムが到来しているのではないかということ。
当時のサッチャーと言えば、極端な新自由主義政策を遂行し、保守の政治家として名を馳せた訳なんだけど...ってば、そう、どこぞの極東にある島国の総理大臣と、なんとなくダブってるんですけど(笑)
おまけに、領土問題を抱えているところまで、なんの偶然かリンクしちゃってるし...
ただし、サッチャーが「鉄の女」と呼ばれたのに対して、こちらの総理には、鉄分なぞほとんど含まれていないようにしか見えないけど(爆)

そんな訳で、故人を偲ぶのは、礼儀としてしかるべきだとは思うけど、だからと言って、サッチャーの行った政策が美化されるのを許していいということではないはずだ。
新自由主義に基づいて小さな政府を志向したサッチャーの政策がイギリスにもたらしたものは、高所得者や企業を優遇することによって生じた所得格差と大量の失業者であり、イギリスの多数を占める労働者階級の人々からすれば、未だにサッチャーはイギリス社会を不幸のどん底に突き落とした忌まわしき存在でしかないのだ。
サッチャリズムによってイギリス経済が立ち直ったとして、その政治手腕が称えられてもいるが、それは、多くの労働者階級の犠牲の上に成り立っていただけの話であって、決して偉大な政治家では無かったということなのだ。


ミュージシャンの批判対象にも
経済の自由化に取り組んだ一方で貧富の格差の拡大を招き、さらにはフォークランド諸島を巡りアルゼンチンと戦火を交えたサッチャー元首相は、1980年代、若者たちの不満を代弁するイギリスの数々のミュージシャンの批判の対象となりました。

このうちバラード曲「シー」のヒットなどで知られるエルヴィス・コステロさんは、1983年に発表した「シップビルディング」という曲で、軍艦を作る造船所の町の悲哀を通してフォークランド紛争への抗議の意思を示しました。 またポール・ウェラーさん率いるザ・スタイル・カウンシルは、1984年のヒット曲「シャウト・トゥ・ザ・トップ」で、「底辺に落ちてあえいでいるときは、いちばん偉いやつに叫べ」と歌っています。 ウェラーさんは、自身のホームページに掲載されたインタビュー記事の中で、「当時、労働組合は弱体化させられ、炭鉱作業員のストが相次ぎ、失業者があふれた。サッチャーは暴君、独裁者だった」と述べています。 また、ザ・スミスの元ボーカリストでソロ活動を続けているモリッシ-さんは、1988年に発表した「マーガレット・オン・ザ・ギロチン」という曲の中で、「マーガレットをギロチンにかけろ」とサッチャー元首相を激しく批判しています。 モリッシ-さんは、サッチャー元首相の死去を受けて「サッチャー氏のせいで、次に女性が首相になることはないだろう。彼女は道を開いたのではなく、閉ざしたのだ。サッチャー氏は、人間性のかけらもない恐怖そのものだった」と極めて辛辣(しんらつ)なコメントを発表しました。
2013年4月9日 NHK NEWS WEB

※ちなみにモリッシーのコメントは、過去のインタビュー記事が出回ったものらしく、先日、本人が改めてコメントしている。
モリッシー、新たに故サッチャー元首相へのコメントを発表。
RO69より

それにしても、散々な言われよう(笑)
さすがは、パンク発祥の国ですな。
それに引きかえ、日本のミュージシャン達のなんと大人しいこと(笑)
社会が抱える様々な問題や矛盾を敏感に感じ取って表現していくことも、ミュージシャンの存在意義のひとつだと思っているんだけど、こと日本のミュージシャンとなると、政治的なメッセージをあえて避けているようにしか見えない。
今の日本には、音楽で訴える題材が山のようにあるはずなんだけどね。
思うに、音楽文化ってのは、常にその時代の社会状況を反映させながら発展してきた訳で、昨今、日本の音楽が売れなくなったのも、そして魅力が無くなってきたのも、そういった意味では、皮肉なことに、今の日本そのものが、廃れてしまっているということを表しているのかもしれないと思ってみた。

ちなみに、当時のサッチャー首相は、フォークランド紛争によって、それまでの政権批判をかわして支持率が上昇に転じた訳なんだけど、これを、今の日本に置き換えてみると、尖閣、竹島といった領土問題に加えて、北朝鮮の暴走も始まっていたりで、安倍政権にとっても、同じような素地がすでに出来上がっているようなもんで、ある意味願ったり叶ったりなのかもしれない。
更についでに言うと、サッチャーはイギリスの自虐史観を否定した教育改革の政策を推し進めた人物でもあり、もはやこうなると、安倍とサッチャーの相違点を見つけるほうが難しいぐらいだ(笑)

そんな訳で、このまま安倍政権が続けば、一層、所得の格差は広がり、そして格差の固定化が進むこととなって、更なる社会的混乱が生じることになるだろう。
そして、そうした国家の危機に乗じて、領土や北朝鮮外交の問題にすり替えるなどして、憲法改正を筆頭に、一気に右極化へと舵を切りかねないのが安倍総理なのだ。
即ちそれは、国民の為に国家が存在しているのではなく、国家の為に国民が存在している、安倍総理が目指さんとする国家主義の誕生を意味することになる。

既に、日銀人事では、中立性を無視した政治介入を行い、一票の格差問題では、裁判所の違憲判断を無視した、選挙制度改革を推し進めようとするなど、民主国家の根源を蔑ろにした政治の暴走が起き始めていることを見逃してはいけない。
安倍政権は、必ずしも国民の為に政治をしている訳ではないのだ。

体制や権力に対して、批判や反骨精神を失ってしまっては、死んだも同然だと思っている。
したがって、日本に軟弱なミュージシャンしか存在しなくとも、このブログだけは、パンクやロックの精神を宿して毒を吐き続けていくつもりだ。
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メタボリック不況

何度でも繰り返して言うけど、日本は欧州のように借金で不景気になっている訳ではない。
少子高齢化による労働生産性と消費の減退に加えて、社会保障に対する不信感が景気を悪化させているだけであって、お金はあるところにはたんまりあるのだ。

大手企業の利益温存加速 100社調査、内部留保99兆円
 大手企業100社が、利益のうち人件費などに回さずに社内にため込んだ「内部留保」の総額は2012年3月末(一部2月末なども含む)時点で総額約99兆円に上ることが7日、共同通信の調査で分かった。  リーマン・ショック直後の09年3月末からの3年間で10%増。労働者の賃金は下落傾向が続く中、企業が経営環境の変化に備え、利益を温存する姿勢を強めている実態が浮き彫りになった。  デフレ脱却の鍵は、政府が6月に示す成長戦略などで、企業内に厚くたまったお金を前向きの投資や賃金に振り向けさせる政策を打ち出せるかにありそうだ。
2013年4月7日 共同通信

当ブログとしては、お茶の間で、こういったニュースが大々的に取り上げられないのが不思議で仕方が無い。
以前のエントリーでも指摘したように、富裕層の資産も年々増え続けている訳で、不況にもかかわらず、お金持ちの国ニッポンは健在なのだ。
即ち、不況の根本的な原因は、そういった大量の資産が、特定の箇所に滞留してしまっていることにある。
要は、生産性の低下した大企業と蓄財に走る富裕層らの存在を許している、日本の社会構造が不況を招いているのだ。

日本経済を人間の体に見立てて、お金を血液に置き換えてみれば判りやすいのだけど、今の日本は、いわば肥満による動脈硬化を起こしているようなものなんだと思う。
したがって、動脈硬化を起こしている血管にいくら輸血をしてみても、健康体を取り戻せる訳では無い。
輸血によって生きながらえたとしても、動脈の硬化を解消し血流が改善されなければ、その先、より重い病が待ち構えているだけの話だ。
本来なら、溜まった脂肪を燃焼をさせるなどして、動脈硬化の原因を取り除いて血流を促し、体全体に血液が行き渡るようにしてやらなければならないのだけど、安倍政権には、そういった根本的な治療を行う方針があるようにはとても思えない。
彼らが、今やろうとしていることは対処療法のみで、あとは当事者任せの、行き当たりばったりの治療方針しか持ち合わせていないのだ。

こんなヤブ医者に、我が身を委ねてしまおうとしている訳で、今の日本は、もはや正気を失っているとしか言いようがない。
ただ悲しいかな、辺りを見回しても、まともな医者が誰一人いない村で我々は暮らしているようなもんで、どちらにしても、健康な体を取り戻す事が叶いそうもないのが現実なのだ(泣)


アベノミクスで株価が上がるのは結構な事かもしれないが、結局、大企業や富裕層の資産が守られる構造が続く限り、庶民がその恩恵に授かることはない。
むしろ、このままいけば、庶民の所得は据え置かれたままインフレによる物価高が起こり、我々の台所を破壊しかねない、より深刻な不況に陥るリスクの方が遥かに高いのだ。

何度でも繰り返すけど、景気が良くなるのには、労働生産性と消費の向上を図る以外に道は無い。
いかにして、大企業や富裕層が貯め込んだ資産を、労働生産性と消費の向上に変換させられるかが不況脱出の鍵なのだ。
にも関わらず、解雇規制の話が飛び交うなど、この国の政財界は、日本を滅ぼしてでも自分達の利益を守ろうととする愚行に及んでいる。
労働市場の自由化は大いに望むところだが、それは中途採用や起業の促進政策を充実させることであって、企業が解雇をしやすくすることではない。

もはや、この国につける薬は無いのだろうか。
今こそ、贅肉を筋肉に変える時なのに、この国は己の食欲を満たすことしか、考えていないようだ。


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劇団自民党

良くも悪くも自民党のしたたかさを感じる出来事だ(笑)

TPP反対派ととりまとめ役大げんか 自民議員の会議
環太平洋経済連携協定(TPP)をめぐる自民党の11日夕方の会議で、ひな壇で隣同士にならんだ慎重派議員と、とりまとめ役の議員がつかみかからんばかりの大げんかを演じた。今後の交渉の難しさを象徴するような一幕だった。
2013年3月12日 朝日新聞

マスコミは面白がって、尾辻元厚労相のキレっぷりを、こぞってテレビに流し続けていたけど、なんのこたぁない、単なる猿芝居を国民に見せ付けていたに過ぎない。
当然、テレビカメラに映っているのも織り込み済みで、TPP参加に反対する地元の支持者に向けて、熱演を披露しただけの話だ。
これがかつての民主党なら、マジでガチファイトだったかもしれないけど(笑)さすがは自民党、民主党とは役者が違うね(笑)

って、感心している場合じゃない!
マスコミが、とんだ茶番劇を垂れ流してくれたお陰で、尾辻元厚労相が漢を上げつつ、TPP反対派の溜飲を下げる手立てに一役買っちゃってるじゃん。
まぁ、昔は与野党含めて、センセー達のこういった茶番劇がよく催されていたけど、未だに、まんまと騙されちゃう人も案外多いようで、結局、たいした抵抗も無いまま、安倍総理の思惑通りに事は進んで、晴れてTPPへの参加が決定した次第だ。

で、当ブログでは、TPPの参加の是非に関して、現状での参加は反対と言わざるをえないと考えている。
というもの、TPPの是非を問うには、あまりにも不確定要素が多すぎて、性急に結論を出すことが容易でないからだ。
安倍内閣は、聖域なき関税の撤廃の拒否を前提条件にTPPへ参加を表明してたけど、関税品目をどうこうする以前に、むしろそれよりも前に見据えておかなければならない事案が抜け落ちたまま、見切り発射をしているように思えて仕方がないのだ。
TPPに参加するメリット・デメリットは、日本の貿易収支の内訳と為替の相関関係によって、180度評価が変わってしまうことが起こりえると考えられる。
つまり、輸入と輸出、円高や円安の組み合わせ次第によって、TPPへの参加は、毒薬にも特効薬にもなり得る経済政策なのだ。
そう考えた場合、聖域なき関税の撤廃を声高に言う前に、国は貿易収支と為替に対する想定を示した上で、話を進める必要があったにも関わらず、そういった議論を尽くさないままに、というか尽くす気もないままTPPに参加することを決めてしまったのだ。

少なくとも、貿易収支が赤字状態のまま、尚且つ現在の為替水準で、日本がTPPに参加してみたところで、国内の経済がボロボロになるのは目に見えている。
輸出関連で言うと、例え日本製品の関税が撤廃されたとしても、大幅な円安にならない限り国際的な価格競争に勝てることはまずないだろうし、仮に大幅な円安になったとしても、一方で燃料や原料のコスト負担も増える訳で、販売価格への転嫁を考えると、どの道、競争力を持った製品を作るには困難が付きまとうことになるのだ。
即ち、国内メーカーは、障壁が低くなった海外移転に転じるか、もしくは外資を受け入れて生き残ろうとするかの選択に迫られる公算が高い。
一方、輸入関連では、国外の安い製品が、どんどん入ってくることになり、瞬間的に消費の活性に繋がることにはなるだろうけど、いわゆる国産メーカーの立場からしてみれば、そのまま死活問題へと直結することになるのだ。
そもそも、日本が貿易赤字に転換したのも、製造業の硬直化した産業構造と高コストが負担となって国際競争力を失ったからであって、TPPに参加したところで、かつての競争力が取り戻せるという次元の話ではないのだ。

したがって、仮に、TPPに参加するのであれば、それらを見越した、新たな基幹産業を興していくしかない訳なんだけど、経団連や安倍政権を見る限り、従来の製造業がTPPによって再生するという楽観論しか持ち合わせておらず、TPPへの参加が日本に経済的メリットをもたらすとは到底思えないのだ。
どう考えたって、資源に乏しい上に人件費がかかり、硬直化した日本の製造業が、いくら関税が撤廃されるからといって、そう易々と国際競争に勝てる訳ではない。
即ち、結果的には、国内の製造業の空洞化を招き、雇用の悪化を推し進めるリスクの方が高くなるのではないかとすら考えている。
いずれにしろ、我々は、グローバリズムによる国際競争の厳しさを身を持って感じる時代が、近いうちに到来するということなのだ。

まぁだからこそ、日本でしか作れないもの、例えば光学レンズやベアリングのような独自の技術開発だったり、または、資源を必要としない、コンテンツ産業やサービス業の産業促進を図って、アドバンテージを得ていく必要があると思うのだけど、そういった国策を講じないままに、安倍政権は丸腰でTPPに参加するつもりだというのだろうか。
そもそも、TPPにおけるアメリカの狙いの一つには、日本の滞留資産をアメリカの市場に吐き出させる目的もある訳で、まさに国益を守ると言うのならば、聖域なき関税の話よりも、貿易収支が黒字化となるような政策やビジョンを示すことの方が遥かに重要課題となるはずなんだけどね。

もはや、安倍総理がやろうとしていることは、アメリカにせっせと貢ぐことでしかなく、まさに、売国奴と呼ぶに相応しい行為としか思えないんだけど、ネトウヨのみなさんはどう思ってるのかな?(笑)
仮に、日本の経済をアメリカに売り渡すとして、その代わりに一体、何を得るつもりなのだろう?
まさか、憲法改正や核武装のお墨付きをもらうってことじゃないよね?
いや、安倍ちゃんなら、本気でやりかねないだけに、ホント笑い話にもならん。

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日本を取り戻す日?

へそが茶を沸かすとは、まさにこの事だ。

「主権回復の日」式典開催を閣議決定 安倍内閣
安倍内閣は12日、サンフランシスコ平和条約が発効して日本が主権回復した4月28日に、政府主催の記念式典を開くことを閣議決定した。自民党は昨年の衆院選政策集で式典開催を明記しており、安倍晋三首相が式典開催にこだわった。
2013年3月12日 朝日新聞

自ら侵略戦争への道を突き進んで敗戦国となった日本が、なんで主権回復と称して国家の式典をする必要があるんだ?
例えば、韓国のように侵略を受けた国が主権回復を国家行事とするのは、そら当然の事だろうけど、侵略戦争を行った日本が主権回復を国家行事とする理由なぞどこにもない。

河野、村山談話に疑問を呈して、戦争への加害責任を曖昧にしようとしながら、一方で、アメリカ占領下からの開放を国家イベントで盛り上げようとしている訳で、なんたる被害者ヅラした自己中心的な考えなのだろうか。
まさに、返り討ちにあった泥棒が、盛大な退院祝いをするようなもんで、こんなバカげた国家行事はない。

こうして安倍総理の戦前の国家体制回帰への道が、着々と前身していくのだ。
過去の過ちを正当化してつき進むようなことになれば、また同じ過ちを繰り返すだけの話でしかないんだけどね...
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不健全な国家には不健全な総理が宿る?

以前に当ブログのエントリーを話題にしてもらったこともある、とある政治系のブログを読んでいて思ったこと。

kojitakenの日記 より一部引用
谷亮子議員(生活の党)、国会でも「ジコチュー」炸裂?
~前略~
私は昔、一流のアスリートというのは心技体の揃った人間だと思っていたが、ある時期、プロ野球のトップクラスの選手の一部に著しく「心」の欠如した人間がいることを認めざるを得なくなった。いまや、この認識の対象を五輪の金メダリストにも広げざるを得なくなったことはきわめて残念である。

このエントリーを読んだ時、作家でもあり精神科医でもあった北杜夫が、マンボウ名義で書いていたエッセイ本の中で、健全な肉体に健全な精神が宿るとは限らない趣旨の話があったことを、ふと思い出した(笑)
恐らくは、小学生か中学生の頃に読んだエッセイ本だったと思うけど、その中で、健全な肉体に健全な精神が宿ったらいいなぁぐらいに留めておいたほうが丁度良いと結んでいたように記憶している。
数十年ぶりに、その話を期せずして思い出した訳なのだが、いまだに記憶に残っているということは、子供ながら、己の道徳心?になんらかの影響を与えていたということになるのだろう。

例えば、スポーツマンらしく正々堂々となんて物言いもよく聞かれるけど、そもそもスポーツマンなんて概念も、突き詰めるとお仕着せでしかないんだよなぁ。
これって、教師にも同じことが言える訳で、教師らしい振る舞いが求められる強迫観念や同調圧力のようなものが、逆に体罰へと走らせてしまうのかもしれないと、ふと思ってみた。
そもそも、高校生らしいとか男らしいとかもそうだけど、実は、日本社会にはこういった観念や固定概念が思っている以上に渦巻いていて、なんと息苦しい社会なのかとも思う。
逆に言うと、観念的な社会というのは偏見を生み出しやすい社会でもあると言える訳で、最近の日本を見て感じるのは、そういった息苦しさが、偏見や差別を助長するような負のスパイラルに陥っていやしないかということだ。

昨今の公務員叩きや生活保護受給者に対するバッシングなんかは、まさにその象徴例とも言える訳で、例えば、経費の無駄や不正を正して公共サービスの質を上げる話だったはずが、何故か公務員の数や給与を減らすことにすり替わり、結果的に公共サービスの質を下げることが支持されるという、なんとも滑稽な話に入れ替わってたりするのだ。
生活保護にしても、一部の不正受給者の行いだけがやたらクローズアップされ、本来、救うべき社会的弱者が追いやられ、セーフティネットの機能が損なわれていたりする訳で、ホント理解に苦しむ。

その他にも、中国で頻発した反日デモにしたって、実際は一部の大都市で一部の参加者が派手に行っていただけで、大半の中国人は、いつもと変わらぬ日常生活を送っているのが実情であり、東北の震災で起きた話でも、実は至るところで略奪は行われ、周りは見て見ぬふりをしていたという逆の例だってあったりするのだ。
即ち、センセーショナルな話題だけが先行し、本質的な問題が矮小化される事態が頻発しているように思えて仕方が無い。

思うに、商業主義に走り、もはやジャーナリズムを失ったマスコミと、一方で恣意的な情報で溢れかえっている無秩序なネットメディアの両者が、日本社会のメディアリテラシーを低下させ、人々の社会不安や社会不信を増長させているのではないかと考える次第だ。
でもって、そういった人々の不安や不信に政治や企業がつけこみ、安易な選択を迫るようにしながら、日本社会を好き勝手にしているのが、今の日本の現状なのだと思う。

アベノミクスなんかは、まさにその典型例とも言える訳で、経済的に実態の伴わない株価上昇と円安が招くのは、更なる格差と不況の拡大でしかないのだけど、世間は歓迎ムード一色だ。
景気回復の必須条件である労働生産性と消費の向上無くして景気の回復なぞありえないのに、そういった話は、何故かどこかに追いやられている。
そんな中、いくらお金を刷ったところで、構造の変わらない経済市場に委ねているだけでは、結局のところ、富の一極集中を招くことでしかなく、決して日本社会全体の景気が上向く訳ではないんだけどね。
雲の上で、お金がジャブジャブ回っているだけで、むしろ市民生活は厳しくなる可能性の方が高いってのに、世間は一体に何に浮かれているのだろうか?

そんな訳で、今の日本を見ていると、社会不安が、人々から冷静かつ客観的な判断力を奪い、更なる社会不安を巻き起こしているように思えて仕方が無い。
日本社会が自信を失ったと言われて久しいけど、所詮は戦前戦後の全体主義によって培われて来た、張りぼての自信でしかなかった訳で、国が揺らげば、簡単に崩れてしまう程度のものでしかなかったということだ。
であるならば、我々一人一人が、国や経済を変えて本物の自信を取り戻してく以外に、この国が立ち直る術は無いのだけど、残念ながら、ことあるごとに「日本らしさを取り戻す」と連呼する総理の下では、ほぼ実現は不可能だと言わざるを得ない。
言っとくけど、そんな張りぼての自信なんか取り戻す必要は無い。
てか、それって変化を拒否しているようなもんだよ。
いやホント、溜息しか出てこない(笑)
今、この国に必要なのは、自分らしく生きることが出来る社会に変えていくこと。
まずは、そこからなんだけどなぁ。


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体育会系日本社会

期せずして、高校の部活動からオリンピック代表に至るまで、スポーツ指導という名の下の体罰が話題となっているけど、自分には、まるで日本社会が抱える病巣が一気に噴出しているよう思えて仕方がない。
実は、桜宮高校の一件以来、体罰に関するネット議論にちょっと参加してみたりもしていたのだけど、思っている以上に、体罰を容認する人々が多く存在していることに気づかされ、軽いショックを覚えている次第だ。
実際に世論調査でもそれを裏付ける結果が出ている。

毎日新聞世論調査:体罰認めず53% 一定の範囲で容認42%
 毎日新聞が2、3両日実施した全国世論調査で、大阪市立桜宮高校で男子生徒が体罰を受けた翌日に自殺した問題を踏まえ、体罰について聞いたところ、「一切認めるべきでない」との回答が53%と半数を超えた。一方、「一定の範囲で認めてもよい」との一部容認派も42%を占めた。
2013年2月4日 毎日新聞

欧米で同様の世論調査を行えば、恐らくまったく違った結果になるだろう。
思うに、未だ体罰を容認する前近代的な民主国家ってのは、日本と韓国ぐらいしかないんじゃなかろうか。

で、いわゆる体罰を容認する人々が言うには、体罰を振るう側に相手を思う気持ちがあり、体罰を受ける側に心当たりやその理解があれば、体罰を振るっても構わないという理屈らしい。
要するに「熱血指導」や「愛のムチ」といったところなのだろう。
でもねぇ、お互いの理解があるのなら、そもそも体罰を振るう必要すら無いと思うのだけど...
まして、愛とは言え、一方的になればそれは単なるエゴにしかならないんだけどねぇ(笑)

そんな訳で、すでに退任した、柔道女子日本代表の園田前監督が会見で、選手達と相互理解が築けていると一方的に思い込んでいた旨の発言をしていたけど、これも逆説的に捉えると、相互理解があれば体罰も正当な指導になりえるという受け取り方も出来る訳で、改めて、体罰の問題の根深さを感じる発言だったように思う。
他にも、産経ニュースウェブ版では、体罰を容認するコラムが掲載されたり、最近では、鉄拳制裁の重鎮、星野楽天イーグルス監督の発言が、東スポで取り上げられるなど、いずれも内容は空いた口が塞がらない中身でしかなかったのだけど、なんちゃってメディア(単なる偶然?)の記事とはいえ、やはり体罰を容認する風潮は残念ながら確実に存在するのだ。

 一定条件下の体罰(産経ニュース)

 星野監督が「体罰問題」を語る(東スポWeb)

正直、いつの時代の話なのかと思う。

って、そう、
まさに、いつの時代の話かと言えば、体罰で真っ先に思い浮かぶのは、明治維新から太平洋戦争まで続いた、かつての日本の軍国主義だ。
戦場では命令通りに動く多数の駒が必要となる訳で、一兵卒にとって上官の命令は絶対服従であり、厳しい上下関係による規律が求められていたのは言うまでも無い。
で、そういった兵士を量産するには、即時性が高くかつ強制力をもった体罰が効果を発揮していたことは明らかだ。
ましてや、明治維新以降、欧米と肩を並べる為に富国強兵を唱えて軍国主義をひた走らんとする日本にとって、軍隊のみならず国民全てを一兵卒と考えていた時代でもあった訳で、市民生活にも軍国主義の影響が及んでいた事は想像に難くない。
まさにそんな時代に、欧米から野球サッカーといったスポーツが日本に伝わってきたのだけど、富国強兵の名の下に、スポーツとしてではなく、教育の一環として取り入れられていったのだ。
そして、これが、後の体育教育やスポーツの部活動へと繋がっていくことになる。
ついでに学校教育の話で言うと、詰襟の制服やセーラー服も、元はと言えば軍服から始まったものでもあるんだよね。
そんな訳で、戦後、民主化が成し遂げられたことで、軍国主義とは無縁の社会が生まれたようにも思えるけども、いわゆる体育会系と呼ばれる厳しい上下関係や年功序列のようなヒエラルキーとなって、軍国主義のDNAが日本社会の中に今も残り続けていると言えてしまうのではないだろうか。
つまり、未だ時代錯誤な体罰が、現代の教育やスポーツの現場でまかり通っているのも、そういった歴史の産物であり、今回、問題化したのも単なる偶然ではなく、起きるべくして起きた出来事であったとも言えるのだ。

もちろん、当ブログでは、いかなる理由があろうと、一切の体罰を認めるつもりはない。
というか、まったく必要のない行為だと思う。
現に、体罰を用いずに、立派な人間を育てている教育者、指導者は、いくらもいる訳で、その時点で体罰の必要性の根拠は失われているも同然だ。
つまり、体罰を用いなければ、教育や指導が出来ないとするならば、それは、教育者や指導者として不適格なだけの話に過ぎないのであって、体罰を振るう正当な理由なぞ存在しようもない話なのだと考えている。

にも関わらず、このような体罰の問題が、いつまで経っても無くならないのは、上下関係のヒエラルキーに染まった教育者や指導者が、その地位を受け継ぎ、体罰の連鎖を止めないでいるからだ。
このことに、冒頭で言った日本社会が抱える病巣を見る思いがするのだ。

そう考えてみると、何も生徒と先生や選手とコーチといった関係に限った話ではないことに気付かされる。
親子関係から始まって、夫婦関係や職場での関係、果ては有権者と政治家の関係に至るまで、DVやパワハラ、セクハラ、それこそ消費税増税や原発稼動など、体罰と同様のことが、あらゆる上下もしくは主従関係において、日常的に至るところで繰り広げられているのではないだろうか。
いずれも共通して言えるのは、絶対的な立場を利用して行われるものであり、何が腹立たしいかと言うと、そういった人間が社会を構成する要所、要職を務め、このような不当な振る舞いが日常的に繰り返されているにも関わらず、このような行為に対して日本の社会が寛容に見受けられるところだ。

当ブログでは、こういった社会を生む背景に、軍国主義を経て体育会系へと受け継がれた、厳しい上下関係をよしとする日本人の考え方が、大きく関わっているのではないかと思っている。
相手の年齢が1年先輩だと判った時点で敬語を使うという摩訶不思議な習慣に見られるように、日本という国は、年功序列というヒエラルキーで構成されている社会なのだ。
要は、上の人間には圧倒的な権益が与えられ、下の人間がその権益を支え、年功序列によって自動的にそれぞれポジションが繰り上がることで維持し続ける、全体主義的な身分保障制度といったところだ。
こういった硬直した人間関係による社会が、戦後、日本が発展していく上において、良くも悪くも機能してきたことは否定しないが、一方で、欧米型の個人主義や自由主義経済といった新たな価値観が入ってきたことで、日本社会の中で矛盾や歪が起きはじめているのが、今の日本の現状なのではないかと考えている。
更に言えば、少子高齢化によって、上の世代が膨らみすぎてしまい、これまでの上下関係を支えきれずに、そのギャップが肥大化しているとも言えるのではないだろうか。
例えば、今回の体罰問題を契機にプレーヤーズファーストなんて言葉が取り上げられる一方で、やれ原ジャイアンツがどうだとか、ザックジャパンがどうしたといった見出しが相変わらずスポーツ紙を飾ったり、企業で言えば、労働生産性の低い中高年の給与を定期昇給で維持することが、会社の負担になっていたり、政治の世界でも、親のすねをかじってきた世襲議員に有権者が強いリーダーシップを求めたりと、実に色々な矛盾や歪が至るところで起きているとは思えないだろうか。
今回の一連の体罰問題はそうした日本社会が抱える歪が、まさに象徴的な出来事となって現れたに過ぎないのだ。

更に日本柔道連盟の対応を見ていて感じたのは、これまでにも企業や政治の世界でしょっちゅう目の当たりにしてきた、自己保身と組織防衛に走る古い体質そのものであったということ。
適当な人間の首を差し出して責任を回避し、密室で解決を図ろうとするなど、なんとしてでも体制を維持しようとする姿勢は見苦しいの一言なんだけど、同時に、そうまでして守らなければならない己の利権がそこにあるということを指し示してもいるんだよね。
結局のところ、表向きは「改革」の狼煙を上げながら、未だ変わることの出来ない、まるで日本社会の縮図を見せ付けられているようなもんだ。
誰かを首にしたところで、上下関係の中で、次の誰かのポストが繰り上がるだけの話でしかなく、とどのつまり、彼らは改革を行う気も無ければ、利権を手放すつもりはさらさらないということ。
悲しいかな、政治にしろ経済にしろ、そんな連中によってこの国は支えられているのだ。

そんな訳で、日本が不況に陥ったり、政治で行き詰っているのも、そして今尚、光明が見出せずにいるのも、このような体育会系的なヒエラルキーによって、日本社会が身動きを取れなくなってしまったからではないかと考えるのだがどうだろう。

そんな中で起きた、今回の女子柔道の代表選手達の告発は、単なる一スポーツ界の出来事としてだけではなく、そういった日本社会全体を支配している硬直した古い体制に対して向られけた、ある意味、革命にも似た抵抗運動ではなかろうかと、勝手に思いを重ね合わせて見ている次第だ。
即ち、彼女達が投じた一石が、柔道界にどういった影響を及ぼすかによって、これからの日本の道筋が占えるのではないかとさえ思っている。

今まで日本を支えてきた、後輩や個人に犠牲を強いることで成り立つ体育会系的社会構造は、少子高齢化とグローバル化によって、もはや維持不可能なところまできているのだ。
仮に、これまでの体制を守ろうとすれば、更なる悲劇が繰り返されることだけは間違いない。
今回の体罰問題は、この先、日本社会が、個人の人権や人格を尊重する、真の民主的な社会を築いていくことができるかどうかの分かれ道となるような気がしてならない。


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お詫び

コメント欄の初期設定を間違えていた為、コメント欄の管理が充分でなかったことに、今頃になって気づくこととなりました。
つきましては、これまでコメントをお寄せ頂いた方々には、この場をおかりして、お詫びいたします。
貴重なご意見をありがとうございます。
遅ればせながらの対応となりましたこと、何卒、お許し下さい。

それにしても、なんたる失態。
何のためのブログやら...
お恥ずかしい限りです。
少しでも有意義なブログになるよう、努めていくつもりですので、これからもお付き合いの程よろしくお願いいたします。

sola-nine(ブログ主)
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