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ポピュリズムの落とし穴に自らハマった橋下市長

ギャグマンガでお馴染みの「こちら葛飾区亀有公園前派出所」略して「こち亀」の中で、主人公の両さんが、更生した元暴走族を立派だとする風潮に対して、最初からグレずに真面目育ってきた人間の方が、遥かに偉いじゃないか!というようなセリフがあって、子供ながらに、その真理に強く共感を覚えた記憶がある(笑)
そう、残念ながら、世間というものは、真面目に問題も起こさず地味な生活を送ってきた名も知れぬ青年よりも、かつて、さんざん周囲に迷惑をかけてきたにも関わらず、後に更生した青年の方を、立派だと称えてしまうものなのだ。

つまり、偏ったサンプルを軸とすることで、その事によって導かれる相対的な評価を、あたかも絶対的な評価のように錯覚してしまうのだ。
まさに、これこそがポピュリズムの正体なのではないかと個人的には思っている。
そして、そういった錯覚に陥いり易い民衆の心理を巧みに利用して、のし上がってきた政治家が橋下徹大阪市長その人なのだ。

敵対する相手に対して、強引な自論を展開して断罪し、社会的なインパクトを与えたかと思えば、一転して歩み寄りの姿勢を見せるなど、さも相手の立場の尊重しているかのように振る舞い、相手の譲歩を引き出しながら、最終的に自分の意に沿うように物事を推し進めていくのだ。
強権的かつ過激な物言いで、ルサンチマンを煽る一方で、浪花節が通じる人間味溢れるイメージすら振り撒いてみせるのだから、恐れ入る(笑)
特に橋下市長が長けているのは、世間のコンプレックスを絶妙に刺激する過激さ具合であり、自らの権力の及ぶ範囲内で、その対象(仮想敵)を見事に作り上げてしまうところだ。
それこそ、大阪市音楽団や文楽における予算削減の一件は、まさにその典型だったとも言える訳で、本質的に見れば、予算の無駄遣いに関する大阪市民の偏見を助長させただけでなく、そもそも行政サービスの質の低下を、大阪市民自らが招くことにしかならないのに、何故だか、大多数の大阪市民が橋下市長の姿勢を歓迎するという、本末転倒な現象が引き起こされたのだった(笑)
即ち、問題解決を率先して図るべきべき事案などいくらもあるにも関わらず、そんな優先順位をすっ飛ばして、世間の話題や関心を引きやすい題材を巧みに利用して、市長として自らの権力を誇示し、支持を集めてきたのが橋下市長の得意とする政治手法なのだ。

そんな中、米軍の風俗利用と従軍慰安婦に関する発言が橋下市長の口から飛び出したのである。
発言の真意については、アメリカのご機嫌を損ねて急に日和りだした政府与党に対して、維新の会の存在感を示そうとしたのだとか、本心を語れない安陪総理を援護したかったのだとか、様々な憶測も流れているが、少なくとも慰安婦に関しての発言は、当初予定していた元韓国人慰安婦との面会を念頭において、計算ずくでなされた発言だったと考えられる。

つまり、慰安婦問題に関して執拗に強弁を繰り返していたのも、元慰安婦との面会でオチを迎えるための前フリに過ぎなかったのではないかということだ。
ネトウヨが喜ぶような妄言で世間を賑わし、元慰安婦との面会に世の注目が集めるように仕向け、元慰安婦の同情を誘うようなパフォーマンスでもって、政治家としての株を上げようという目論見があったのではないかと、当ブログでは勘ぐっている次第だ。

ところが、自らの妄言によって、その目論見が脆くも崩れ去る事態が起こる。
世間を賑わすどころか、国際的に物議を醸してしまったのだ。
とはいえ、あっさり発言を謝罪や撤回しようものなら、最大の支持を集める右派の人心を失いかねず、更には元慰安婦との面会でのパフォーマンスのインパクトも薄れてしまう。
恐らく、橋下市長は相当焦ったんじゃないかと思う(笑)
その間、慰安婦を肯定とも否定とも受け取れる曖昧な発言を繰り返して、時間を稼いでいたようにも見てとれる。
結果、その魂胆を見透かされてしまったのか、元慰安婦サイドから面会をドタキャンされる羽目になるのだけど、その際のリアクションも、意外や、いつもの橋下節を封印し、あっさりと受け入れる低姿勢なものだった。

橋下氏、面会拒否に「残念」 風俗発言は謝罪
 日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は24日、韓国人元従軍慰安婦が面会を拒否したことについて「非常に残念だ」と感想を述べた。同時に「今の僕に会いたくないのであれば、先方の気持ちが一番だ」と語った。
 旧日本軍の従軍慰安婦をめぐる発言に関しては「発言の真意を伝えたかった」と述べる一方で、「自分が(慰安婦を)容認したことは一度もない」と重ねて釈明。撤回や謝罪は拒否した。
 在日米軍に風俗業を活用するよう求めた発言では「米国人や米軍におわびしたい」と、初めて謝罪に言及。一方で「女性蔑視をしたつもりはない」とも強調した。
2013年5月24日 共同通信

今回の面会は、かねてから元慰安婦側から、申し入れがあったものであり、客観的に見れば、ドタキャンの非はまず元慰安婦側にある。
実際、このドタキャンによって、元慰安婦自らが、自分達の主張に疑問の余地を与えてしまうなど、非難を呼んだ面もあり、これまでの橋下節であれば、当然そこを突いてくることが容易に想像できたのだけど、彼は怒りを見せるどころか、元慰安婦達の心情を慮ったコメントを発したのである。
正直、これにはちょっとビックリした(笑)
が、これもまた、事態をなんとか収拾させたいとする、橋下市長なりの苦肉に策の表れだと考えると、なんだか合点がいってしまうのだ。

結局のことろ、これまで挑発的だった橋下市長の言動も、元慰安婦との面会で帳尻を合わせるつもりで発していたのではないかと考えられる。
ところが、想像以上の国際世論の反発と、面会のドタキャンによって尻切れとんぼに終わってしまったことで、収拾を図れなくなってしまい、結果的には、橋下市長自らの信用を落としただけの格好となってしまったのだ。
今日になって慌てて、公開文書なるものを発表したようだけど、今更、誤解だったと釈明したところで、そもそも、あえて誤解を招くような、センセーショナルな言動を意図的に言い放ってきただけに、もはやなんの説得力も持ち合わせてはいない。
失った信用は、そう簡単には取り戻せないのだ。
もとより、ポピュリズムによって得てきた支持は、失うのも早いということなのかもしれない。

思うに、これまで橋下市長が闘ってきた相手は、すべて自らの権限が及ぶ範囲内でのことだ。
市政に関する事はもちろんのこと、週刊朝日との一件も、自らの人格に関わる話であり、主体性は常に橋下市長の側にあり、主導的な立場で話をすることが出来た。
しかし、米軍の風俗利用や従軍慰安婦問題については、橋下本人の権限なぞ遠く及ばない外交的な事案であるのと同時に、相手側にも同様に主体性が存在しうる問題なのだ。
いや、これまでも、相手側に当然主体性は存在していたのだけど、自らの権限で封じ込めることが可能だったのと、ポピュリズム(合意形成)によって、相手側の主体性を無力化することが出来たに過ぎなかった話なのだ。
ところが、今回は、それが通じない相手を対象に、いつものやり口で話をおっ始めてしまったのだから、国際問題にまで発展し、今更、後戻りが出来なくなるものもそら当然の流れと言える(笑)
恐らくは、党代表という立場が、その一線を越えさせてしまったと想像するが、図らずも、彼が得意とするポピュリズムの手法が、グローバルな問題には、まったく通用しないことを自らの手で証明することとなった。
即ち、自ら生み出したポピュリズムの落とし穴に、自ら落っこちてしまったのだ(笑)

地方行政から国政へとなれば、起こりうる問題はより複雑化し、利害の調整を図っていくのがより難しくなっていくものだ。
ましてや外交など、相手の立場を損なわないようにしながら、自国の利益を確保しようとするならば、より高度な政治力が求められることになる。
そういった意味では、少なくとも、国政を預かるだけの政治力を、橋下自信が持ち合わせていないことを自ら証明してみせたと言える(笑)

そう考えると、未だに日中韓の関係改善を図ることが出来ない安陪総理もまた、国政を預かるには相応しくない総理大臣なのだと言える。
彼が、自国軍に拘るのも、己の外交力の乏しさの裏返しであり、(単純な)軍事力が、自分の主導的な立場を強くしてくれると本気で思い込んでいるところに、よく表れている(笑)
集団的自衛権を認め、核武装を行うことで、領土や慰安婦の問題が解決すると考えているならば、これほどオメデタイ話は無い。

話を戻すと、今回の、橋下大阪市長による慰安婦発言の一件によって、日本の政治のガラパゴス化が、改めて浮き彫りにされる形となった。
同じような事が、安陪総理の出現にも当てはまると思っている。
橋下市長のポピュリズムしかり、安陪総理のナショナリズムしかり、今の日本を見ていると、グローバル化に飲み込まれないよう、ローカリズムによって、必死の抵抗を図っているように思えて仕方が無い。
まさに端的な例として、排外デモなんてのが挙げられるけど、これに至っては当人達が見えていない仮想敵に対して、抵抗運動を挑んでいるようなもんで、もはや滑稽としか言いようがない(笑)

グローバル化とは、多様性を認める事だ。
そして、多様性を認めるということは、相互理解を深めていくことに他ならない。
即ち、コミュニケーションでしか、グローバル化を乗り越えることは出来ないのだ。
しかしながら、橋下市長や安陪総理を見る限り、そういったコミュニケーション能力が備わっているようには到底思えない。
むしろ、コミュケーションを軽んじてでも物事を進めようとする姿勢がありありだ。
だからこそ、国際的な批判に晒されるのである。

国際的な支持を得られない政治家が、日本国内では圧倒的な支持を集めるという、もはや危機的な政治状況なのだが、そのギャップが、今後、ますます広がっていくのか、それとも埋まっていくのか、まさに、今が分岐点のような気がしてならない。

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橋下徹、稲田朋美、西村眞悟の共通項

橋下徹、稲田朋美、西村眞悟

いずれの政治家に共通している事はなんですか?

と問われて、真っ先に思い浮かぶのは、妄言を吐きまくる極右政治家の皆さんといったところだろうか。
しかし、それだけでは完全な正解とは、残念ながら言えない。
実は、彼らに共通しているのは、皆、弁護士出身の極右政治家だったりするのだ(笑)

って、いやぁたまげた!
弁護士と言うと、てっきり、弱者や困っている人を救済したりするような、人一倍人権意識が高い人達だと思っていたんだけど、
むしろ、いとも簡単に人権を踏みにじることが出来る人が、なっちゃうお仕事なのかな?

思うに、上記お三方の妄言から一致して感じるのは、一方的かつ強者の立場からしか言葉を発せられないところだ。
それは、真実や真理を見極めようとするよりも、自らの正義を振りかざすことに懸命になっているように見える。
まぁ、職業柄、法廷で真実を追求することよりも、依頼人の利益を守ることが弁護士の仕事だと思ってそうだから、一方的な立場だけで、彼等が政治を語ろうとするのもある意味当然の話なのかもしれない。
んな訳で、別に弁護士を貶めるつもりはまったくないんだけど、いわゆる高い見識が求められる職業の人間が、なぜも、あんな低俗な極右思想に傾倒してまうのか、なんらかの因果関係があるように思えて仕方がないのだ。

ん?
いや待てよ?
不見識な人間だからこそ、弁護士を続けないで、政治家になったという解釈もあるか(笑)


それにしても、慰安婦に関する発言が問題になって以降の橋下市長の記者会見が、いただけない。
あそこまで自信を持って自説をぶちまけてるんだから、いつものように、大阪市のボードを背にして正々堂々と語ればいいじゃん(笑)
下衆の勘ぐりと言われても構わんけど、意図的に大阪市のボードを引っ込めてるようにしか思えないんだよね。
何か後ろめたいことでもあんの?
それこそ、安陪政権なんか、揃いも揃って、いきなり極右発言を自重しちゃったりして、ああいう見え透いた自主規制には、ほとほと呆れるしかないね。
即ち、自主規制しているってことは、実はそれって、自分達の極右思想には、社会では受け入れられない考え方だということを、ある意味、自覚してるからこそのようなもんで、なんともこざかしい限りだ。
そういえば、稲田朋美なんかは、かつてアメリカ新聞に掲載された慰安婦に関する意見広告に、賛同者として名を連ねて(当然、西村眞悟も賛同者の一人)いた訳で、むしろ、橋下徹と同じ考えのはずじゃなかったっけ?(笑)
てか、橋下徹は強制を否定しない妙な言い回しをしていたけど、稲田は強制そのものが無かったという主張をしていて、より過激なんですけど(笑)


ちなみになんだけど、別に、極右だろうが極左だろうが、政治家の思想信条は自由で全く構わないと思っている。
むしろ、様々な考え方があってしかるべきだし、それを選挙でもって民意が示されればいいだけの話。
ところが、日本の政治家は、都合が悪くなると、途端に平気で思想信条を塗り変えるインチキな政治家ばっかりなので、これじゃぁ民意の示しようがないってのが、日本の政治が置かれている現状なんだよね。

そういった意味では、なんちゃって左翼政党の影響で左右の政治バランスが崩れ、日本の右傾化が進んでいることを、以前ブログで指摘したことがあったけど、それに加えて、本当の右翼政党も、実は存在していないということが言えてしまうんじゃなかろうか。
もはや、この国には、なんちゃって政党となんちゃって政治家しかいないのか?!
そんな訳で、少なくとも、安陪総理が、自らの極右姿勢をごまかしながら政権運営を続けていく限り、日本の政治の混迷も、延々と続いていくということになりそうだ。


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ブレーキを失った日本

「慰安婦は人権侵害」 稲田行革相、橋下氏を批判
稲田朋美行政改革担当相は14日の記者会見で、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が旧日本軍の従軍慰安婦を容認する発言をしたことに関し「慰安婦制度は女性の人権に対する大変な侵害だ」と批判した。
 橋下氏が米軍幹部に対し、海兵隊員に風俗業者を活用させるよう求めたことについても「意味が分からない」と強い不快感を示した。
2013年5月14日 中国新聞

案外、安倍政権は早い段階で内部崩壊するかもしれない。
高い政権支持率とアベノミクスの好況を受けて、調子に乗って極右発言を連発した途端に、ブーメランとなって火の粉が降りかかってきた格好だ。
まさに、極右が極右を否定する、へんてこりんな現象が起きはじめている(笑)
んな訳で、安倍総理が振り撒いた極右思想の種は、当面燻り続けることになり、アメリカ様を怒らせたように、思わぬ火事を引き起こすのかもしれない。

自民党政権になって以降、明らかなのは、安倍総理は自分に関心のある人々に対しては、やたら威勢のいいことを言うけれども、関心の無い人間や敵対する人々に対しては、近づいて物を言おうとはしない。
取り巻き連中をイエスマンで固め、自分が気に入らない勢力とは、一切の関わりを持たない、まさに裸の王様状態だ。
要は、典型的なお坊ちゃま体質なのである(笑)

本来、政治家とは、自分の意見を押し通すのではなく、反対意見の相手から妥協を引き出すことが出来るのが優れた政治家なのだと思う。
立場が違えば、利害が一致しないのはそら当然な訳で、そこを調整するのが、政治家として求められる役割のはずなんだけどね。
そう考えると、安倍総理の政治姿勢には、総理大臣はおろか、政治家としての資質が全く備わっていないと言える。
それらを補う為に、それなりの政策ブレーンをつけたまでは良かったが、結局のところ、総理の発言と政権が行うとする政策には多くの矛盾や乖離が生じることとなり、いずれ時間が経つにつれ、様々な綻びが出てくるのではないかと思っている。
そんな訳で、このまま行くと、前回同様に政権運営に行き詰まって、またもや職場放棄なんてことも?(笑)

そういった意味でも、野党からすれば、絶好の機会が訪れようとしている訳なんだけど、いかんせんろくでもない野党しかいないから、大きな変化が期待できないのが、なんとも情け無いとことろ。
安陪総理周辺が極右発言を自重しだしたのも、野党や国民世論の反発を受けたからではなく、ただ単に、アメリカ様のご機嫌を損ねたからに過ぎない。
あれほど、アメリカから押し付けられた憲法は認められないと啖呵を切って、憲法改正を猛烈に訴えていた安陪総理の威勢は一体どこへやら?(笑)
結局、安陪総理の極右的信念なんてものは、所詮、その程度ものでしかなかったということなのだ。
ただ、一方で、日本国内においては、極右化に対する自浄作用が働かなくなってきたことの表れでもあり、それこそ、橋下大阪市長のように、より右側に暴走する輩も出てくるほどに極右思想が日本社会に蔓延ってきているとも言える。
彼もまた、大阪市民の信任を得た人物な訳で、このような人間を総理や首長に選んでしまうほどに、もはや日本の民度の劣化とガラパゴス化に歯止めがかからなくなってきているのが現状なのだ。

安陪政権の極右姿勢がトーンダウンに転じたことは、一見好ましいようにも思えるけど、あくまで、外圧に屈しての軌道修正ゆえに、手放しでこれを歓迎するのは早計だ。
むしろ、それ以上に、日本社会が右傾化に対する自浄作用を失ってきていることを、深刻に受け止めなければならないと思う。
かつて、右に傾いた船は沈むのみと書いたことがあるけど、思っている以上に、その危険水域に差し掛かっているのかもしれない。
極右政治家が極右政治家をたしなめる、なんとも低俗な政治ニュースを見ていて、なんだか、そんな不安が強まってきた今日この頃だ。

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国民不在の栄誉賞授与式

東京ドームで行われた、長嶋、松井両氏の国民栄誉賞の授与式に、違和感や嫌悪感を抱いた人々は、果たしてどのくらいいたのだろうか?
人気スポーツ選手を出しに使い、商業主義とあいまった政治ショーを、徳光キャスターの嗚咽でもって、こどもの日に全国のお茶の間に届けられていたかと思うと、もはやめまいすら覚える醜悪なイベントでしかなかったというのが正直なところだ。
松井の極めて冷静で実直なスピーチと、翌日のスポーツ紙やワイドショーのはしゃぎっぷりのギャップが、ある意味、このイベントの違和感を物語っていたように思う。

何より、未だ権力欲の衰えないナベツネが裏で糸を引いていたことは、火を見るよりも明らかな訳で、人気選手に取り入って新たに儲けたい商売人の目論見と、政権の支持率を強固にしたい政治家の浅ましい思惑に、世間がまんまと乗せられた恰好だと言える。
読売グループと時の総理大臣による権力の私物化とも言える醜悪なイベントに、諸手を挙げて感嘆できるというのであれば、もはやそれは、この国がポピュリズムに犯されていることを示しているに他ならない。

果たして、スポーツの政治利用と私企業と総理大臣の蜜月を、こうも簡単に許してしまっていいのだろうか?
安倍総理が公平な立場である審判を務めたにも関わらず、読売ジャイアンツユニフォームを着こんで嬉々とジャッジしている様など、まさに、今の日本の政治そのものを象徴しているようで、もはや滑稽なものにしか写らなかった。

しかし、現実は笑って済まされるレベルの話ではない。
中国や朝鮮半島の脅威を煽り、日本国憲法を押し付けられたと言い放つなど、今回の授与イベントしかり、安倍総理の政治手法には、常に情緒的であったり扇動的な言動や行為が付きまとっているように思う。
我々は、そういった政治手法に惑わされず、その目的や意図を勘案しながら、安倍政権を見極めていく必要があるのだ。

ところで、件の松井は、授与式後、日本に留まらず、すぐニューヨークにとんぼ帰りしたのだとか。
是非、松井には、読売と決別してメジャーに挑戦した当時の気持ちを思い出して、誰に気兼ねする事無く、自身が思う道を進んでいって欲しいと願う。

※追記
松井氏は、5月9日まで日本に滞在し、アメリカに戻ったとのことでした。

そんな訳で、テレビから流れる徳光キャスターの聞くに堪えない嗚咽が、もはや愚衆政治への始まりの合図にしか聞こえず、思わずテレビのチャンネルを変えるしかないのだった(笑)
というか、カープがあまりにも可哀相過ぎだろ...
 
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