So-net無料ブログ作成

劇団自民党

良くも悪くも自民党のしたたかさを感じる出来事だ(笑)

TPP反対派ととりまとめ役大げんか 自民議員の会議
環太平洋経済連携協定(TPP)をめぐる自民党の11日夕方の会議で、ひな壇で隣同士にならんだ慎重派議員と、とりまとめ役の議員がつかみかからんばかりの大げんかを演じた。今後の交渉の難しさを象徴するような一幕だった。
2013年3月12日 朝日新聞

マスコミは面白がって、尾辻元厚労相のキレっぷりを、こぞってテレビに流し続けていたけど、なんのこたぁない、単なる猿芝居を国民に見せ付けていたに過ぎない。
当然、テレビカメラに映っているのも織り込み済みで、TPP参加に反対する地元の支持者に向けて、熱演を披露しただけの話だ。
これがかつての民主党なら、マジでガチファイトだったかもしれないけど(笑)さすがは自民党、民主党とは役者が違うね(笑)

って、感心している場合じゃない!
マスコミが、とんだ茶番劇を垂れ流してくれたお陰で、尾辻元厚労相が漢を上げつつ、TPP反対派の溜飲を下げる手立てに一役買っちゃってるじゃん。
まぁ、昔は与野党含めて、センセー達のこういった茶番劇がよく催されていたけど、未だに、まんまと騙されちゃう人も案外多いようで、結局、たいした抵抗も無いまま、安倍総理の思惑通りに事は進んで、晴れてTPPへの参加が決定した次第だ。

で、当ブログでは、TPPの参加の是非に関して、現状での参加は反対と言わざるをえないと考えている。
というもの、TPPの是非を問うには、あまりにも不確定要素が多すぎて、性急に結論を出すことが容易でないからだ。
安倍内閣は、聖域なき関税の撤廃の拒否を前提条件にTPPへ参加を表明してたけど、関税品目をどうこうする以前に、むしろそれよりも前に見据えておかなければならない事案が抜け落ちたまま、見切り発射をしているように思えて仕方がないのだ。
TPPに参加するメリット・デメリットは、日本の貿易収支の内訳と為替の相関関係によって、180度評価が変わってしまうことが起こりえると考えられる。
つまり、輸入と輸出、円高や円安の組み合わせ次第によって、TPPへの参加は、毒薬にも特効薬にもなり得る経済政策なのだ。
そう考えた場合、聖域なき関税の撤廃を声高に言う前に、国は貿易収支と為替に対する想定を示した上で、話を進める必要があったにも関わらず、そういった議論を尽くさないままに、というか尽くす気もないままTPPに参加することを決めてしまったのだ。

少なくとも、貿易収支が赤字状態のまま、尚且つ現在の為替水準で、日本がTPPに参加してみたところで、国内の経済がボロボロになるのは目に見えている。
輸出関連で言うと、例え日本製品の関税が撤廃されたとしても、大幅な円安にならない限り国際的な価格競争に勝てることはまずないだろうし、仮に大幅な円安になったとしても、一方で燃料や原料のコスト負担も増える訳で、販売価格への転嫁を考えると、どの道、競争力を持った製品を作るには困難が付きまとうことになるのだ。
即ち、国内メーカーは、障壁が低くなった海外移転に転じるか、もしくは外資を受け入れて生き残ろうとするかの選択に迫られる公算が高い。
一方、輸入関連では、国外の安い製品が、どんどん入ってくることになり、瞬間的に消費の活性に繋がることにはなるだろうけど、いわゆる国産メーカーの立場からしてみれば、そのまま死活問題へと直結することになるのだ。
そもそも、日本が貿易赤字に転換したのも、製造業の硬直化した産業構造と高コストが負担となって国際競争力を失ったからであって、TPPに参加したところで、かつての競争力が取り戻せるという次元の話ではないのだ。

したがって、仮に、TPPに参加するのであれば、それらを見越した、新たな基幹産業を興していくしかない訳なんだけど、経団連や安倍政権を見る限り、従来の製造業がTPPによって再生するという楽観論しか持ち合わせておらず、TPPへの参加が日本に経済的メリットをもたらすとは到底思えないのだ。
どう考えたって、資源に乏しい上に人件費がかかり、硬直化した日本の製造業が、いくら関税が撤廃されるからといって、そう易々と国際競争に勝てる訳ではない。
即ち、結果的には、国内の製造業の空洞化を招き、雇用の悪化を推し進めるリスクの方が高くなるのではないかとすら考えている。
いずれにしろ、我々は、グローバリズムによる国際競争の厳しさを身を持って感じる時代が、近いうちに到来するということなのだ。

まぁだからこそ、日本でしか作れないもの、例えば光学レンズやベアリングのような独自の技術開発だったり、または、資源を必要としない、コンテンツ産業やサービス業の産業促進を図って、アドバンテージを得ていく必要があると思うのだけど、そういった国策を講じないままに、安倍政権は丸腰でTPPに参加するつもりだというのだろうか。
そもそも、TPPにおけるアメリカの狙いの一つには、日本の滞留資産をアメリカの市場に吐き出させる目的もある訳で、まさに国益を守ると言うのならば、聖域なき関税の話よりも、貿易収支が黒字化となるような政策やビジョンを示すことの方が遥かに重要課題となるはずなんだけどね。

もはや、安倍総理がやろうとしていることは、アメリカにせっせと貢ぐことでしかなく、まさに、売国奴と呼ぶに相応しい行為としか思えないんだけど、ネトウヨのみなさんはどう思ってるのかな?(笑)
仮に、日本の経済をアメリカに売り渡すとして、その代わりに一体、何を得るつもりなのだろう?
まさか、憲法改正や核武装のお墨付きをもらうってことじゃないよね?
いや、安倍ちゃんなら、本気でやりかねないだけに、ホント笑い話にもならん。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

日本を取り戻す日?

へそが茶を沸かすとは、まさにこの事だ。

「主権回復の日」式典開催を閣議決定 安倍内閣
安倍内閣は12日、サンフランシスコ平和条約が発効して日本が主権回復した4月28日に、政府主催の記念式典を開くことを閣議決定した。自民党は昨年の衆院選政策集で式典開催を明記しており、安倍晋三首相が式典開催にこだわった。
2013年3月12日 朝日新聞

自ら侵略戦争への道を突き進んで敗戦国となった日本が、なんで主権回復と称して国家の式典をする必要があるんだ?
例えば、韓国のように侵略を受けた国が主権回復を国家行事とするのは、そら当然の事だろうけど、侵略戦争を行った日本が主権回復を国家行事とする理由なぞどこにもない。

河野、村山談話に疑問を呈して、戦争への加害責任を曖昧にしようとしながら、一方で、アメリカ占領下からの開放を国家イベントで盛り上げようとしている訳で、なんたる被害者ヅラした自己中心的な考えなのだろうか。
まさに、返り討ちにあった泥棒が、盛大な退院祝いをするようなもんで、こんなバカげた国家行事はない。

こうして安倍総理の戦前の国家体制回帰への道が、着々と前身していくのだ。
過去の過ちを正当化してつき進むようなことになれば、また同じ過ちを繰り返すだけの話でしかないんだけどね...
nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

不健全な国家には不健全な総理が宿る?

以前に当ブログのエントリーを話題にしてもらったこともある、とある政治系のブログを読んでいて思ったこと。

kojitakenの日記 より一部引用
谷亮子議員(生活の党)、国会でも「ジコチュー」炸裂?
~前略~
私は昔、一流のアスリートというのは心技体の揃った人間だと思っていたが、ある時期、プロ野球のトップクラスの選手の一部に著しく「心」の欠如した人間がいることを認めざるを得なくなった。いまや、この認識の対象を五輪の金メダリストにも広げざるを得なくなったことはきわめて残念である。

このエントリーを読んだ時、作家でもあり精神科医でもあった北杜夫が、マンボウ名義で書いていたエッセイ本の中で、健全な肉体に健全な精神が宿るとは限らない趣旨の話があったことを、ふと思い出した(笑)
恐らくは、小学生か中学生の頃に読んだエッセイ本だったと思うけど、その中で、健全な肉体に健全な精神が宿ったらいいなぁぐらいに留めておいたほうが丁度良いと結んでいたように記憶している。
数十年ぶりに、その話を期せずして思い出した訳なのだが、いまだに記憶に残っているということは、子供ながら、己の道徳心?になんらかの影響を与えていたということになるのだろう。

例えば、スポーツマンらしく正々堂々となんて物言いもよく聞かれるけど、そもそもスポーツマンなんて概念も、突き詰めるとお仕着せでしかないんだよなぁ。
これって、教師にも同じことが言える訳で、教師らしい振る舞いが求められる強迫観念や同調圧力のようなものが、逆に体罰へと走らせてしまうのかもしれないと、ふと思ってみた。
そもそも、高校生らしいとか男らしいとかもそうだけど、実は、日本社会にはこういった観念や固定概念が思っている以上に渦巻いていて、なんと息苦しい社会なのかとも思う。
逆に言うと、観念的な社会というのは偏見を生み出しやすい社会でもあると言える訳で、最近の日本を見て感じるのは、そういった息苦しさが、偏見や差別を助長するような負のスパイラルに陥っていやしないかということだ。

昨今の公務員叩きや生活保護受給者に対するバッシングなんかは、まさにその象徴例とも言える訳で、例えば、経費の無駄や不正を正して公共サービスの質を上げる話だったはずが、何故か公務員の数や給与を減らすことにすり替わり、結果的に公共サービスの質を下げることが支持されるという、なんとも滑稽な話に入れ替わってたりするのだ。
生活保護にしても、一部の不正受給者の行いだけがやたらクローズアップされ、本来、救うべき社会的弱者が追いやられ、セーフティネットの機能が損なわれていたりする訳で、ホント理解に苦しむ。

その他にも、中国で頻発した反日デモにしたって、実際は一部の大都市で一部の参加者が派手に行っていただけで、大半の中国人は、いつもと変わらぬ日常生活を送っているのが実情であり、東北の震災で起きた話でも、実は至るところで略奪は行われ、周りは見て見ぬふりをしていたという逆の例だってあったりするのだ。
即ち、センセーショナルな話題だけが先行し、本質的な問題が矮小化される事態が頻発しているように思えて仕方が無い。

思うに、商業主義に走り、もはやジャーナリズムを失ったマスコミと、一方で恣意的な情報で溢れかえっている無秩序なネットメディアの両者が、日本社会のメディアリテラシーを低下させ、人々の社会不安や社会不信を増長させているのではないかと考える次第だ。
でもって、そういった人々の不安や不信に政治や企業がつけこみ、安易な選択を迫るようにしながら、日本社会を好き勝手にしているのが、今の日本の現状なのだと思う。

アベノミクスなんかは、まさにその典型例とも言える訳で、経済的に実態の伴わない株価上昇と円安が招くのは、更なる格差と不況の拡大でしかないのだけど、世間は歓迎ムード一色だ。
景気回復の必須条件である労働生産性と消費の向上無くして景気の回復なぞありえないのに、そういった話は、何故かどこかに追いやられている。
そんな中、いくらお金を刷ったところで、構造の変わらない経済市場に委ねているだけでは、結局のところ、富の一極集中を招くことでしかなく、決して日本社会全体の景気が上向く訳ではないんだけどね。
雲の上で、お金がジャブジャブ回っているだけで、むしろ市民生活は厳しくなる可能性の方が高いってのに、世間は一体に何に浮かれているのだろうか?

そんな訳で、今の日本を見ていると、社会不安が、人々から冷静かつ客観的な判断力を奪い、更なる社会不安を巻き起こしているように思えて仕方が無い。
日本社会が自信を失ったと言われて久しいけど、所詮は戦前戦後の全体主義によって培われて来た、張りぼての自信でしかなかった訳で、国が揺らげば、簡単に崩れてしまう程度のものでしかなかったということだ。
であるならば、我々一人一人が、国や経済を変えて本物の自信を取り戻してく以外に、この国が立ち直る術は無いのだけど、残念ながら、ことあるごとに「日本らしさを取り戻す」と連呼する総理の下では、ほぼ実現は不可能だと言わざるを得ない。
言っとくけど、そんな張りぼての自信なんか取り戻す必要は無い。
てか、それって変化を拒否しているようなもんだよ。
いやホント、溜息しか出てこない(笑)
今、この国に必要なのは、自分らしく生きることが出来る社会に変えていくこと。
まずは、そこからなんだけどなぁ。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。