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体育会系日本社会

期せずして、高校の部活動からオリンピック代表に至るまで、スポーツ指導という名の下の体罰が話題となっているけど、自分には、まるで日本社会が抱える病巣が一気に噴出しているよう思えて仕方がない。
実は、桜宮高校の一件以来、体罰に関するネット議論にちょっと参加してみたりもしていたのだけど、思っている以上に、体罰を容認する人々が多く存在していることに気づかされ、軽いショックを覚えている次第だ。
実際に世論調査でもそれを裏付ける結果が出ている。

毎日新聞世論調査:体罰認めず53% 一定の範囲で容認42%
 毎日新聞が2、3両日実施した全国世論調査で、大阪市立桜宮高校で男子生徒が体罰を受けた翌日に自殺した問題を踏まえ、体罰について聞いたところ、「一切認めるべきでない」との回答が53%と半数を超えた。一方、「一定の範囲で認めてもよい」との一部容認派も42%を占めた。
2013年2月4日 毎日新聞

欧米で同様の世論調査を行えば、恐らくまったく違った結果になるだろう。
思うに、未だ体罰を容認する前近代的な民主国家ってのは、日本と韓国ぐらいしかないんじゃなかろうか。

で、いわゆる体罰を容認する人々が言うには、体罰を振るう側に相手を思う気持ちがあり、体罰を受ける側に心当たりやその理解があれば、体罰を振るっても構わないという理屈らしい。
要するに「熱血指導」や「愛のムチ」といったところなのだろう。
でもねぇ、お互いの理解があるのなら、そもそも体罰を振るう必要すら無いと思うのだけど...
まして、愛とは言え、一方的になればそれは単なるエゴにしかならないんだけどねぇ(笑)

そんな訳で、すでに退任した、柔道女子日本代表の園田前監督が会見で、選手達と相互理解が築けていると一方的に思い込んでいた旨の発言をしていたけど、これも逆説的に捉えると、相互理解があれば体罰も正当な指導になりえるという受け取り方も出来る訳で、改めて、体罰の問題の根深さを感じる発言だったように思う。
他にも、産経ニュースウェブ版では、体罰を容認するコラムが掲載されたり、最近では、鉄拳制裁の重鎮、星野楽天イーグルス監督の発言が、東スポで取り上げられるなど、いずれも内容は空いた口が塞がらない中身でしかなかったのだけど、なんちゃってメディア(単なる偶然?)の記事とはいえ、やはり体罰を容認する風潮は残念ながら確実に存在するのだ。

 一定条件下の体罰(産経ニュース)

 星野監督が「体罰問題」を語る(東スポWeb)

正直、いつの時代の話なのかと思う。

って、そう、
まさに、いつの時代の話かと言えば、体罰で真っ先に思い浮かぶのは、明治維新から太平洋戦争まで続いた、かつての日本の軍国主義だ。
戦場では命令通りに動く多数の駒が必要となる訳で、一兵卒にとって上官の命令は絶対服従であり、厳しい上下関係による規律が求められていたのは言うまでも無い。
で、そういった兵士を量産するには、即時性が高くかつ強制力をもった体罰が効果を発揮していたことは明らかだ。
ましてや、明治維新以降、欧米と肩を並べる為に富国強兵を唱えて軍国主義をひた走らんとする日本にとって、軍隊のみならず国民全てを一兵卒と考えていた時代でもあった訳で、市民生活にも軍国主義の影響が及んでいた事は想像に難くない。
まさにそんな時代に、欧米から野球サッカーといったスポーツが日本に伝わってきたのだけど、富国強兵の名の下に、スポーツとしてではなく、教育の一環として取り入れられていったのだ。
そして、これが、後の体育教育やスポーツの部活動へと繋がっていくことになる。
ついでに学校教育の話で言うと、詰襟の制服やセーラー服も、元はと言えば軍服から始まったものでもあるんだよね。
そんな訳で、戦後、民主化が成し遂げられたことで、軍国主義とは無縁の社会が生まれたようにも思えるけども、いわゆる体育会系と呼ばれる厳しい上下関係や年功序列のようなヒエラルキーとなって、軍国主義のDNAが日本社会の中に今も残り続けていると言えてしまうのではないだろうか。
つまり、未だ時代錯誤な体罰が、現代の教育やスポーツの現場でまかり通っているのも、そういった歴史の産物であり、今回、問題化したのも単なる偶然ではなく、起きるべくして起きた出来事であったとも言えるのだ。

もちろん、当ブログでは、いかなる理由があろうと、一切の体罰を認めるつもりはない。
というか、まったく必要のない行為だと思う。
現に、体罰を用いずに、立派な人間を育てている教育者、指導者は、いくらもいる訳で、その時点で体罰の必要性の根拠は失われているも同然だ。
つまり、体罰を用いなければ、教育や指導が出来ないとするならば、それは、教育者や指導者として不適格なだけの話に過ぎないのであって、体罰を振るう正当な理由なぞ存在しようもない話なのだと考えている。

にも関わらず、このような体罰の問題が、いつまで経っても無くならないのは、上下関係のヒエラルキーに染まった教育者や指導者が、その地位を受け継ぎ、体罰の連鎖を止めないでいるからだ。
このことに、冒頭で言った日本社会が抱える病巣を見る思いがするのだ。

そう考えてみると、何も生徒と先生や選手とコーチといった関係に限った話ではないことに気付かされる。
親子関係から始まって、夫婦関係や職場での関係、果ては有権者と政治家の関係に至るまで、DVやパワハラ、セクハラ、それこそ消費税増税や原発稼動など、体罰と同様のことが、あらゆる上下もしくは主従関係において、日常的に至るところで繰り広げられているのではないだろうか。
いずれも共通して言えるのは、絶対的な立場を利用して行われるものであり、何が腹立たしいかと言うと、そういった人間が社会を構成する要所、要職を務め、このような不当な振る舞いが日常的に繰り返されているにも関わらず、このような行為に対して日本の社会が寛容に見受けられるところだ。

当ブログでは、こういった社会を生む背景に、軍国主義を経て体育会系へと受け継がれた、厳しい上下関係をよしとする日本人の考え方が、大きく関わっているのではないかと思っている。
相手の年齢が1年先輩だと判った時点で敬語を使うという摩訶不思議な習慣に見られるように、日本という国は、年功序列というヒエラルキーで構成されている社会なのだ。
要は、上の人間には圧倒的な権益が与えられ、下の人間がその権益を支え、年功序列によって自動的にそれぞれポジションが繰り上がることで維持し続ける、全体主義的な身分保障制度といったところだ。
こういった硬直した人間関係による社会が、戦後、日本が発展していく上において、良くも悪くも機能してきたことは否定しないが、一方で、欧米型の個人主義や自由主義経済といった新たな価値観が入ってきたことで、日本社会の中で矛盾や歪が起きはじめているのが、今の日本の現状なのではないかと考えている。
更に言えば、少子高齢化によって、上の世代が膨らみすぎてしまい、これまでの上下関係を支えきれずに、そのギャップが肥大化しているとも言えるのではないだろうか。
例えば、今回の体罰問題を契機にプレーヤーズファーストなんて言葉が取り上げられる一方で、やれ原ジャイアンツがどうだとか、ザックジャパンがどうしたといった見出しが相変わらずスポーツ紙を飾ったり、企業で言えば、労働生産性の低い中高年の給与を定期昇給で維持することが、会社の負担になっていたり、政治の世界でも、親のすねをかじってきた世襲議員に有権者が強いリーダーシップを求めたりと、実に色々な矛盾や歪が至るところで起きているとは思えないだろうか。
今回の一連の体罰問題はそうした日本社会が抱える歪が、まさに象徴的な出来事となって現れたに過ぎないのだ。

更に日本柔道連盟の対応を見ていて感じたのは、これまでにも企業や政治の世界でしょっちゅう目の当たりにしてきた、自己保身と組織防衛に走る古い体質そのものであったということ。
適当な人間の首を差し出して責任を回避し、密室で解決を図ろうとするなど、なんとしてでも体制を維持しようとする姿勢は見苦しいの一言なんだけど、同時に、そうまでして守らなければならない己の利権がそこにあるということを指し示してもいるんだよね。
結局のところ、表向きは「改革」の狼煙を上げながら、未だ変わることの出来ない、まるで日本社会の縮図を見せ付けられているようなもんだ。
誰かを首にしたところで、上下関係の中で、次の誰かのポストが繰り上がるだけの話でしかなく、とどのつまり、彼らは改革を行う気も無ければ、利権を手放すつもりはさらさらないということ。
悲しいかな、政治にしろ経済にしろ、そんな連中によってこの国は支えられているのだ。

そんな訳で、日本が不況に陥ったり、政治で行き詰っているのも、そして今尚、光明が見出せずにいるのも、このような体育会系的なヒエラルキーによって、日本社会が身動きを取れなくなってしまったからではないかと考えるのだがどうだろう。

そんな中で起きた、今回の女子柔道の代表選手達の告発は、単なる一スポーツ界の出来事としてだけではなく、そういった日本社会全体を支配している硬直した古い体制に対して向られけた、ある意味、革命にも似た抵抗運動ではなかろうかと、勝手に思いを重ね合わせて見ている次第だ。
即ち、彼女達が投じた一石が、柔道界にどういった影響を及ぼすかによって、これからの日本の道筋が占えるのではないかとさえ思っている。

今まで日本を支えてきた、後輩や個人に犠牲を強いることで成り立つ体育会系的社会構造は、少子高齢化とグローバル化によって、もはや維持不可能なところまできているのだ。
仮に、これまでの体制を守ろうとすれば、更なる悲劇が繰り返されることだけは間違いない。
今回の体罰問題は、この先、日本社会が、個人の人権や人格を尊重する、真の民主的な社会を築いていくことができるかどうかの分かれ道となるような気がしてならない。


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