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プロゴルファーの妄言?

かつてはアメリカツアーにも参戦し、現在はゴルフ解説や日本のシニアツアーで活躍する、とあるプロゴルファーがいる。
穏やかに、かつ理路整然とした解説で視聴者にも好意的に受け入れられているプロゴルファーの一人だと思うのだが、そんな彼のブログが、あまりにトンデモな内容だったので、思わず目が点になってしまった。
これまで、彼のブログは時々通りすがりで見るぐらいで、その内容から保守思想の強い人なんだろうな程度の認識だったのだが、先日更新されたブログのエントリーでは、普段の理論派のイメージとは凡そかけ離れた、オカルト思想に傾倒した内容となっており、この人大丈夫か?と、勝手に心配してしまうほどだ。

もちろん、思想信条は個人の自由であり、発言の自由も当然あるのだが、少なからず著名人となれば、社会的な影響も考慮しなければならないであろうし、発言に対してそれなりの責任を負う立場となるのではないだろうか。
にも関わらず、あまりに無自覚かつ無責任な発言のオンパレードに、甚だお節介なのは承知の上、当ブログとしてはどうしても見過ごすことができず、この度、突っ込みを入れる自由を行使して、急遽エントリーを上げるに至った次第だ。

で、件のブログだが、至る所にトンデモポイントが散りばめられており、いちいち取り上げようとすると全文紹介になりかねないので、誠に勝手ながら、引用はさわりの一部とさせていただく。
以下が気になった方は、是非、リンク先で全文をお読みいただきたい。

ヒトラーの予言
 沖縄付近で停滞していた台風は 一気に北上し 日本列島を縦断していきました。
この台風 本当におかしな動きをしました。台風という自然現象の動きではなく 誰かが
コントロールをしているような動き。太平洋で発生した台風ですが 進路を北西に取り 
沖縄付近で 時間を待つかのように停滞し 動き出すと一気に北東に進路を取りました。
前回の大雨で大きな災害が起きた 紀伊半島付近に上陸し 3月の東日本の震災で
被害にあった地域を通過する際には 時を合わせた様に 震度5弱の地震まで。

今年3月の震災前の私だったら 地球は温暖化によって おかしくなり始めているとしか
思わなかったのですが 3月の震災後のある情報で 「人工地震」ではないかというものが あり インターネットやいろいろな本を読み 今の私は 地球で起こっていることへの見方が 変わり始めています。

「地球で起こっていることは ある特定の人たちによってコントロールされている。
それは 普通に生きている人たちには分からないようになっている」というものです。
つまり 地震も気象も そして人間の考え方でさえも。

2011年09月22日(水巻良典公式ブログ見聞感より抜粋)

エントリーのタイトルからして、怪しい匂いが満載だ。
先日の台風の動きを書き出しに、話は人工地震に及び、災害はある特定の人間によって引き起こされているとしている。
で、この後に、タイトルにあった『東方が巨大な実験の場になる』『永遠の未成年集団が出現する』といったヒトラーの予言とされる一文を引用して取り上げ、これが今の日本の社会情勢と合致し、予言は当たっているのでないかと話は続く。
更には、とある本に書かれている事として、世界支配に関する話題に突入し、最後は「日本民族の遺伝子の中には 凄いものがあるのかもしれない」という一文でブログの本文は締めくくられている。

いやはや、プロゴルファーのブログとは到底思えない、壮大なトンデモブログだ。
ヒトラーの予言を肯定的に捉えながら、日本民族の優位性まで言及するとは、まさに見事なまでの極右思想。
というか、この手の予言や陰謀論などの話題は、居酒屋での四方山話か身内相手にするレベルの話だと思っていたのだが...
少なくとも、一介のプロゴルファーが、ましてやゴルフとは関係も無い話題で、無責任に書けるような話ではないはずだ。
果たして、彼には確固たる信念や確証を持った上で書いているのだろうか?
であれば、是非とも、それを読者に示して欲しいところだ。
さすがの津川雅彦ですら、ここまでは書けないのでは?(笑)

今の日本で右傾化というと、ついネットを中心とした若者世代を思い浮かべがちだが、年代を問わず広がっていることをよもや実感したケースと言える。
とはいえ、今回の話は、もはや右だの左だといったイデオロギーを超越している内容とも言えるけど。
この際はっきり言っておきたいのだが、予言や陰謀論でこの世を語るのは妄言でしかない。
そして、その妄言は、考える事を放棄した人にのみ入り込んでくるのだ。
仮に、このような妄言が受け入れられようものなら、日本全体が思考停止に陥ったことを意味する。
即ち、それは日本の終わりを意味することに他ならないのだ。
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オフレコ政治

前回のエントリーにて脇が甘いといった側から、ものの見事にスタートダッシュでコケで見せた野田政権。
その鉢呂前経産大臣の辞任騒動に関しては、色々と議論が出尽くした感もあるが、どうしても未だに腑に落ちない点が残っている。
それは、何故オフレコの話をメディアが書きたてるに至ったのか。
閣僚のオフレコ談話がそのまま世間に出たとしたのなら、政権側からすれば由々しき事態と言えるはずだ。
にも関わらず、当の政権内からそれを指摘する声はほとんど聞かれない、唯一与党である輿石幹事長が物申したのみで、大臣の首をすげ替えることで首尾よく落着してしまっているのだ。
更に、辞任後の鉢呂前大臣自らが真相を語ろうとしないところが、より不可解な辞任劇であったことを際立たせている。
陰謀論などに加担する気など毛頭無いのだが、今回の顛末にはあまりに不透明な点が多く、どうにも気になるのだ。
この事は、大臣の発言内容の是非とはまったく別次元のものであり、今後の野田首相の政権運営に深く関わる、決して見過ごしてはならない出来事であると、当ブログでは考えている。

鉢呂前経産大臣 インタビュー詳報
東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発周辺地域について「死の町」などと発言したことで引責辞任した鉢呂吉雄前経済産業相が19日までに産経新聞社の単独インタビューに応じた。

※以下抜粋

-鉢呂氏は記者に近づいたということだが

「近づいたってのも、そう言われるから。あなたたち、近い付いた、なすりつけたようなことを言われたから、そういう記憶はないということは言ったけどさ、その後。そこのところは、次の日だけども、記憶に、思い出してこないの。
だけども、一番、毎日新聞の朝刊は、毎日新聞の記者になすりつけたとか、つけちゃったぞとか、という趣旨の発言をしたと。
その生の言葉そのものでないもんだから、実際、どういう、放射能をうつしたとか、わけたとか、ほら放射能とか、それぞれだいぶ違うことになっているもんだから、放射能をつけてしまったぞ、とか言ったら、そのぐらいまで言ったら、記憶まったくないわけでもないが、『ほら、放射能』と読売が書いているのが一番(当たっている)、僕は、そう言ったら記憶に残らないと思うが、放射能を分けるとか、つけるとか、僕にはないんだけどね、言葉の感覚として…」

-では記者団に対してどういう発言をしたのか

 「そこが記憶ないんですよ。その、はっきりいって…」

2011年9月19日(産経ニュース)

一説には、マスコミの横暴だとする論調も数多く見受けられるようだが、そう考えるのはあまりに安直だ。
仮に、これを記者クラブから現政権に対する圧力と解釈するならば、政権サイドからもっと反発があってしかるべきだと考えられるのだが、そういった動きはほとんど聞かれない。
少なくとも、オフレコの談話をそのまま記事にするということは、そこに何かしらの政治的な判断が伴う訳で、一介の通信社が独断で行うとは到底考えにくい。
察するに、記者クラブと官邸なり政権サイドとの間で、なんらかの駆け引きがあったと考える方が、自然なのではないだろうか。

ちなみに、似たような形で、前松本復興大臣のオフレコ発言の映像がそのまま使われて、辞任に至ったケースもあったが、あれは、公式の場の取材で、しかも発言後に大臣がオフレコ扱いにするようマスコミに要請(強要)したものであり、今回のケースとは、事情がまるっきり違うと考える。
むしろあの時でさえ、オフレコ要請に反発したのは地元の放送局だけで、大手メディアはオフレコ要請に従っているのだ。
尚更、今回のオフレコが表に出てきたことが、奇妙に写ってしまう。
鉢呂前大臣の発言は偶発的なものだったにしろ、後任の人選を考えると、反原発の流れを封じ込めるタイミングに使われたとする憶測も、あながち否定できないのだ。

民主党と言えば、元々記者クラブ制度を開放するなどの情報公開を行うと、国民に訴えていた政党だ。
しかしながら、一部では公開されるケースも出てくるようになったものの、本来訴えていた情報公開とは程遠いのが現状であり、結局、記者クラブの閉鎖性は存続し、オフレコの慣習も残ったまま今に至っており、今回の辞任劇は、情報公開とは正反対のそうした古い体質の中で繰り広げられたことになる。
情緒的な話題が先行し、事の真相が明らかになることもなく大臣が交代したのも、そうした体質の成せる技なのだ。
いくらインターネットで情報化社会が進んだといっても、こと政治報道における一次ソースの大半は、大手メディアから発信されるものであり、我々はそれを準拠するしか他はないのだ。
しかし、メディアと政権の互助関係が続く限り、報道内容の客観性や公共性が損なわれる恐れが常に付きまとい、真相が覆い隠される危険を孕んでいることを、忘れてはならない。
野田政権下ではこのようなメディアとの相互関係が、より強まると当ブログでは考えており、その報道内容を、注意深く精査していく必要があると考えている。

政治において、国民の知る権利を奪うということは、民主主義を否定するということなのだ。
情報公開を行うつもりが無いのなら、民主党は即刻政権から降りてもらいたい。

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政党とはこれ如何に

8月末に民主党の代表選挙が行われ、新たな代表即ち総理大臣が決まった。
加えて、党人事や組閣の陣容を見て、やたら気が重くなった次第だ。
挙句、各社の世論調査では、高い内閣支持率が出ているようで、失望感すら感じている今日この頃となっている。

巷では、どじょう内閣だの泥臭い総理だのと、もてはやされているようだが、当ブログには泥まみれの内閣にしか到底見えない。
さしずめ、これまでの民主党政権から漏れ出た政治課題を、野田新総理がせっせと泥で塞いでいくということなのだろう。
残念ながら、これで日本の政治が当面停滞することは間違いないと、当ブログでは考えている。

もともと、民主党といえば、政治理念や政策、背景や利害関係等々、それぞれ異なる政党や政治家が、政権交代を目的に集まって構えた政党であり、与党となった今では、政権維持の為だけに政党の体を成している、言わば、はりぼての党だ。
政権を取るまでは、2大政党制を目指すとしたリベラルな看板を掲げてはいたものの、その実態は左右ごちゃまぜの翼賛政党であり、特に政権交代以降の外交、経済の両政策の迷走振りや、親小沢、反小沢の不毛な党内対立など、民主党の体質をよく現す事柄には枚挙にいとまが無い。
今回の閣僚人事を見ても、民主党体制を維持する為だけの組閣でしかなく、国民目線はおろか、政治的にもなんら一貫性の無い政権である事は一目瞭然だ。
そもそも、新自由主義者と増税主義者が党内のみならず閣内に存在している政権など、本来ありえない話であり、それこそ、党内融和などという言葉が平然と飛び交う政党なぞ、もはや政党としての意義を失っていると言わざるを得ない。
マニフェストを掲げて政権を取った以上、現実路線や妥協路線への政策転換を図るのであれば国民に信を問うか、そもそも意見が異なるのであれば党内を解体して、再編するのが本筋であるはずだ。
しかし民主党は、毎度の党首交代によって、党の本質的な問題点をうやむやにし、その責任を国民の目から逸らし続けているのだ。
そして今尚、そのような政党が、与党であり続けているのは、もはや異常事態としか言いようがない。
いずれにしても、様々な政治思想を抱えた翼賛内閣では、詰まるところ打算内閣としかなりえず、結局は、霞ヶ関の意のままに硬直した政治体制が続いていくことになるのだ。

これは、かつての自民党政権時代の末期と同じ流れとも言えなくもないのだが、民主党の場合、自民党以上に党内の政治カラーが混沌としているだけに、あらゆる批判や軋轢を飲み込んでしまう、言わばブラックホールと化した政党となってしまっている。
したがって、野党からしてみれば、与党が翼賛政党であればあるほど、政治的な対立軸を打ち出す余地を奪われることとなり、自民党のように判りやすいほどに右極化していくか、公明党のように信者頼みになるしか、もはや野党としての存在感を示せなくなりつつあるのだ。
それこそ、社民党や、現実路線に転換中の共産党などは、既に民主党にその存在感を飲み込まれたと言っても過言ではない。

このような与野党の関係に陥ってしまっては、政策的な論戦が望める訳もなく、結局のところ、スキャンダル追求に終始する永田町劇場が繰り返されることになるだけなのだ。
特に、今回の閣僚人事では脇の甘そうな人材がゴロゴロしているだけに、恐らく国会では相当に無駄な時間を費やすことになるのであろう。
しかし、それとて、民主党政権の延命をアシストすることでしかなく、決して国民の利益に繋がるものではない。
本来、政治家や政党は政策の実行とその結果で評価されるべき存在であると思うのだが、硬直し混沌とした政治体制となった今、人格面だけでその評価が決まるほどに、日本の政治は落ちぶれてしまっているのだ。

だとするならば、政党は、一体なんの為に存在するのか?
現行の国政において、政党の意義を失っているということは、議会制民主主義そのものが破綻していることを意味するに等しい。
選挙制度改革以前に、政党の在り様を正すことが、まずもって行わなければならないことなのだ。

そして現在、そのような政党政治の機能不全によって、国民生活の不満を政治が受け止めることが出来ず、ナショナリズムに流れ始めようとしている。
例えば欧米で見られるような、多くの国民の受け皿となるべく、いわゆる中道左派の政党が存在していないことが、日本の右傾化、保守化に拍車を掛けているのだ。
このようなバランスを欠いた、日本の政治体制は、更なる社会不安を招くことでしかない。
一刻も早く、あるべき政党政治を確立しなければならないのだ。

しかし、残念ながら、野田政権下では、それが叶う事は無いであろう。
それこそ、党内融和の如く与野党融和を謀るべく、自民、公明の主張を体よく取り入れていくことで、与野党間の争点を薄め、その翼賛体質をより強めていく可能性が高いと思われる。
わざわざ大連立を組んで、利害の調整に明け暮れるよりも、政策の争点を打ち消して野党を弱体化に追い込む方が、民主党にとっては都合がいいのだ。
まさに、国民不在の政治を推し進めることとなるであろう。

せっかく菅、鳩山前総理の稚拙な政治センスでもって、国民目線の政治課題が浮き彫りになったものが、野田総理によって、泥で埋め戻されることになる。
しかも、今度の総理は、菅、鳩山よりは、まさに狸の如く国民の目を欺くのに長け、保守回帰を目指さんとする政治家なのだ。
早速、原発対応や復興増税に関して、ダブルスタンダードな動きも見せ始めており、彼らの思惑を決して見過ごしてはならない。
少なくとも、任期一杯まで野田総理は、政権維持の為に、したたかにあらゆる手段を講じてくるであろう。
当ブログでは、その動向を注意深く見ていくつもりだ。

最後に「政党」の意味を引用してこの稿を終わりにしたい。

【政党】
共通の政治的主義・主張をもつ者によって組織され、一定の政治的利益や政策の実現のために活動し、政権獲得をめざす集団。
(大辞泉より)
真の政党政治が来る日を切に望む。

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