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臭い物には?

震災や原発事故をも政局に利用しようという、政治家の卑しい本性が露になってきた。
不信任案、2日提出を示唆 自民・逢沢氏
自民党の逢沢一郎国対委員長は29日午前のNHK番組で、菅直人首相の退陣に向けた内閣不信任決議案について「谷垣禎一総裁の腹は固まっている。そう遠くないときに提出する」と述べ、公明党と調整している党首討論翌日の6月2日の提出を示唆した。
公明党の漆原良夫国対委員長も「菅政権に日本の将来は任せられない。早い時期にお出しになった方がいい。賛同する」と同調した。
民主党の安住淳国対委員長は「憲政の常道に従って粛々と否決する自信がある」と強調。「否決されれば信任ということだ。重要法案成立にご協力いただく」とけん制した。
(2011年5月29日 共同通信)
菅政権に対して不満や批判があるのは当然のことだが、それと内閣不信任案がどう結びつくのか、自民党や公明党を筆頭に不信任案に同調しようとする野党は、何ひとつその根拠を示してはいない。
それもそのはずで、民主党の小沢グループの動きに対して敏感に反応し、秋波を送り合っているにしか過ぎず、そもそも不信任案に値する根拠など持ち合わせていないからだ。
彼らの目的は、菅総理を引きずり下ろすことにあり、今回の内閣不信任案提出の動きからは復興とはおよそかけ離れた政治家の思惑しか透けて見えてこない。
どうせ永田町のことなので、菅政権のままでは都合が悪い政治勢力が裏で糸を引いているのだろうが、はっきり言ってそんなことをしている暇は無いはずだ。
一刻も早く第二次補正予算の審議に入って、復興の道筋を示さなければならない時に、政治は一体何をしているのだろうか?

今回の震災や原発事故に対する政府の不十分な対応が、すべて菅総理の責任のように見えてしまうのは、悲しいかな彼自身の総理としての資質に関わる話ではあるが、そこが本質的な問題なのではない。
本質的な問題は、政府や国が、長年に渡って国家の危機管理を怠ってきた歴史そのものであり、その責任は歴代の政権とそれに携わってきた官僚達がまず問われるべき話なのである。
本来、政権や総理大臣が代わろうと、国家の危機管理体制は維持されるものでなければならないはずだが、この国は政権が変わっただけで、中国の漁船一隻が起こした出来事で国が揺らいでしまうほど、脆弱な危機管理体制しか、そもそも持ち合わせていなかったというのが現状なのだ。
今度の原発事故の注水騒動ひとつ取っても、情報と指示の連絡系統がまったく機能していないことを露呈したに過ぎず、総理の責任を問う前に、危機管理の不備を招いている国家の体質を見直していかなければ、また、同じ過ちを繰り返すことになるだけの話だ。

これは、自民党政権が長らく続いたことによって、領土問題しかり、普天間基地しかり、原発問題しかり、厄介な問題はすべて先送りにし、本質的に向き合おうとせず誤魔化してきた長年のツケが、ただ単に表面化している出来事にしか過ぎないのだ。
いくら臭い物に蓋をしようとも、臭いの元を取り除かなければ、いずれまた臭いが立ち篭るのは当たり前の話で、国民もさすがにその臭いに耐えきれず、民主党に政権を代えてみたら、一気に蓋が外れて悪臭が漏れ出したというのが、現在の日本の姿なのである。
まさに、福島第一原発の事故によって、日本中に放射能がばら撒かれた出来事と重なるのは、単なる偶然ではないはずだ。
確かに、もう少し蓋の外しようがあるのも事実だが、だからといって、蓋を外した民主党や菅総理の責任を問い詰めてみたところで、臭いが消えて無くなるわけではない。
したがって、今回の野党と民主党の造反グループの動きによって、仮に菅内閣が退陣に追い込まれるようなことになれば、結局のところ、また蓋を被せて問題を先送りにしようとするに等しい愚行であると、当ブログでは強く指摘しておく。
これまでは、そうやって国民の不満や批判の矛先を誤魔化すことは出来たかもしれないが、こと原発問題に関しては、もはや誤魔化しようがないレベルの問題となっているのだ。
我々は放射能に汚染された日本から逃れることは出来ないのである。
否でも応でも、放射能と付き合って生活をしていく覚悟をしなければならない。
一人一人が、原発の歴史を省みては、その問題点を論じ考え、政府や東電の動向を厳しく見つめ、50年後100年後の日本や未来の子供達の暮らしを見据えて、それぞれが判断、行動をし、政治を動かしていかなければならないのである。
すなわち、それは長年蓋をし続けてきた臭いの元、つまりは過去のツケと向き合っていくことを意味するということなのだ。

菅政権が望ましいとはこれっぽっちも思ってはいないが、臭いの元を白日の下に晒す稚拙な政治センスは、もしかすると今の日本にとって必要(悪)な総理であるのかもしれない。
差し当たって総理に相応しい人材がいないのであれば、少なくとも、蓋をするかつての政治よりは、いくらかはましな訳で、この際、過去の政治が蓋をしてきたものを洗いざらいぶちまけてもらって、国民が直視する機会にすればよいとすら思う。
少なくとも、この国が本当によりよい社会を目指すのであれば、これ以上蓋をする政治を許してはならない。
国民自らが鼻を利かしていくしかないのだ。


最後に話は変わって、個人的な事を少し書かせていただきたい。
先日、政治や社会問題に関するブログの中で多くのアクセスを誇る「kojitakenの日記」にて、当ブログの「電源三法」のエントリーを取り上げていただいた。
実は、普段から覗かせていただいているブログだったので、いつものように一読者として訪問しフムフムと読み終えて気づいたのだが、まさか自分のブログのことが書かれていたとは思いもよらず、時間差で驚いた次第である。
こんな、よちよち歩きのブログにまで、足?を運んでいただけてるとは、「kojitakenの日記」の懐の深さと見識の広さに、改めて感じ入ると同時になんだか背筋がピンと伸びる思いがした。
まずは、自分の考えをネット上で発信することから始めた当ブログだが、当初から考えていた、横へ繋げていく第二段階の動きも、これを励みに始めていくつもりだ。
もちろん、その先の考えも色々とあるのだが、いずれ機会があれば当ブログで伝えていきたいと考えている。


追記:
その「kojitakenの日記」にて電源三法廃止キャンペーンのキャッチフレーズを募集中とのこと(笑)
なにやら当ブログエントリーをそのまま候補にしていただいているようで、ありがたいやら恥ずかしいやら(汗)
この場を借りて、重ねてお礼申しあげます。

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